idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

「落第」の理由を説明できるか

 

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今日はアップルパイ。幸せなひととき(マツミナ)

 横丁のご隠居さん、吠えましたね。こういうの大好き。ご隠居さんに賛成できる部分もあるけれど、異議もあります。

 

 まず賛成。「分数ができない奴でも入れないと大学はもうからないのかい」。その通りです。定員割れすると補助金が削られるし、学費収入も減ります。定員割れした大学は敬遠されるので、受験料収入も減ります。日本の大学の受験料は、世界的に見ても高額ですから、減収は痛いでしょう。教職員の雇用維持も厳しくなります。

 どんな学生を入れても、カリキュラムと教員さえ整えて力をつければ、大学の評判は上がるはずなのに。それをやらずに文句を言っているようなら、大学の方が悪いです。大いに非難しましょう。

 

 寒天突きにも問題があります。学びの場が工場のベルトコンベアーにしか見えないのです。

 「跳び箱を跳べなかったら落第」が妥当かどうかは、跳び箱を跳ぶ意味を先生が説明できれば、ありです。単に4段跳べたけれど5段は跳べなかったから落第ではなく、子どもに跳び箱を飛ばせる意味をきちんと説明してほしいのです。一つ一つの教科、単元の意味を先生自身が説明できれば、自ずと授業の進め方や課題の出し方、添削の仕方も変わるはずです。コンベアーではなくなります。ちなみに、4段も跳べなかった私には、いまだに跳び箱の意味がわかりません。

 ご隠居さんは吠えてましたよね、「勉強の仕方を教えておいてくんな」。これこそが義務教育ですべきことでしょう。だとすると、履修制では自ずと限界がありませんか。

 例えば算数。平行四辺形の面積の計算では、早く正解にたどり着くよりも、補助線を引く面白さを学ばせてほしいのです。どこに補助線を引くのも自由です。楽しいじゃないですか。隣の子と補助線の引き方が違ったら、もっと面白い。教えてほしいのは、思考そのもの、しかも考えるって楽しい、ということではないでしょうか。だとすると「時間がきたからハイ次」では行かないはずでしょう。

 それからご隠居さん、誤解です。大学は修得制ではないですよ。1学期15コマの授業をとったら、学期の間に必要な学修時間は1350時間、1日18時間の学習です。これを読んだある大学理事長から「日本のサラリーマンの平均労働時間より長い!」とコメントが届きました。平均労働時間は「年間」1734時間です(厚生労働省「毎月勤労統計調査」2019年)。実現不可能なことが可能であるがごとく組み込まれている、修得制のフリをした履修制が大学教育の現実です。

 

 小学校から大学まで履修制で、その結果、「年齢主義」をはびこらせるだけになっていると見ています。15歳で高校、18歳で大学、20代半ばで学びを終えて就職。40歳になるまでに課長ぐらいにはなって。女性だったら30歳代で出産して、とかね。私が20代の頃には「クリスマスケーキ」なんて言い方がありました。25日までは何とか売れるけれど、26日以降は廃棄処分。いずれにしても寄り道は「悪」、ルートから外れたら「落伍者」です。

 人生がいかに長くなっても、20代半ばで学びから卒業してしまう風潮の根底には、年齢主義に縛られた履修制があります。「その年齢ですべきこと」より、「何歳でも今すべきこと」を自分で考えて行動に移せる人を育てたいと考えています。

 青臭いことを書いてしまった。イイトシなのに。(マツミナ)

 

 

履修制と修得制

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虹の根元に、きっと宝物がある(イデちゃん)


 「分数のできない学生が大学にいる理由は小・中学校の教育が質的に不十分であって、学力の備わらない生徒を高校に送るからである」「戦後の小・中学校には落第や留年の制度がなく、学業の遅れた生徒でも『寒天突き』のように卒業させてしまうからだ」という指摘を読んだ「横丁のご隠居」が吠えた。

 

「てやんでー、学生の分際で分数ができない奴がいて困るんだったら、最初からそんな奴は入学させなきゃいいだろうに。入学させておいて、今さらできねーのは困るなんて問題にしたって始まらねーだろ。それとも何かい、そんな奴でも入学させなければ大学がもうからねーってのかい」

「算数できねーから落第させてやり直せってか。ひでーこと言うじゃねーか。じゃ、なにかい、跳び箱跳べねー奴も落第させんのかい。そんなことした日にゃ学校中が『ところてん』だらけになっちまわあ」

 

 山崎正和さんは2007年に中央教育審議会会長に就任しました。それから14年たった今の中教審でも「履修制」と「修得制」が議論されているようです。わかりやすく言えば、できなくても進級・卒業させる「寒天突き」は履修制。これに対して、できが悪かったら「落第」させ、やり直すのが「修得制」です。

日本の公立小・中学校は年齢主義を取っており、年齢によって所属する学年が決められています。文部科学省は、学習指導要領により各学年で学ぶ内容を定めています。これは教育の機会均等を確保し、全国のどの地域で教育を受けても、一定の水準の教育を受けられるようにするためで、「到達基準」を示したものではありません。ですから「履修」、つまり学習すれば進級できるわけで、成績不良のために俗に言う「落第」、正しくは「原級留置」となるケースは稀です。

これに対して修得制は、一定の資質・能力に到達しなければ、学年の修了や卒業認定がされない制度です。高校や大学はこの制度を取っています。他にも修得制のわかりやすい例に自動車学校があります。自動車学校では教程段階ごとに試験があり、合格しなければ次に進めません。最後に路上検定に合格しなければ卒業は認定されず、運転免許取得に必要な条件を得ることができません。「履修」しただけではダメということですね。

 

近年、エビデンスに基づく教育(Evidence Based Education)の推進が強く求められていますが、教育の質の成果を測定することは簡単ではありません。最近、注目されている「非認知能力」もその一つです。試験等で図ることが難しい能力まで含めた修得制には限界があります。会議では「履修制」「修得制」のどちらがいいかという議論より、両方の良さをどのように活かしていくかという方向で話し合われていると聞きましたが、取りまとめに注目したいと思います。

 

最後に隠居の捨て台詞を

「小学校ん時にできなくたって、大人になればできるようになることだってあらあな。落第なんかさせてるより、早く娑婆に出した方がいい。だけど勉強の仕方だけはちゃんと教えておいてくんな。それじゃねーと娑婆で役に立たねーや」(イデちゃん)

学びの場から「有毒ガス」を追い出す

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今日はプリンシュー。中にプリンが入っています(マツミナ)

   今朝、近所の池で「カラスの行水」を見ました。「入ったかと思ったらすぐ出る」どころか、かなり念入りでした。通りかかったおばあさんが「寒くてもきれいにする。えらいもんだ」と感心していました。

 退学率が察知する「有毒ガス」は「学びの衰退」ですか、イデちゃん。なるほど。となると、こちらは行水ではなく「換気」で有毒ガスを追い出しましょう。まずは、しっかり学ばなければ進級・卒業できないシステムの構築ですね。勉強しない学生は、留年させるのです。こういう話をすると、難色を示す学長が少なくありません。「留年者が増えると、補助金がカットされる」と心配するのです。

 日本の大学の収容定員は厳しく管理されています。超過しても少なくても補助金がカットされます。けれども成績不良による留年者数については、例外規定を設けています(「私立大学等経常費補助金取扱要領」51ページ参照)。

 厳しいシステムにするなら、学生が時間をかけて学べるような環境整備が不可欠です。日本の学生は「学修時間が短い」と各種のデータが証明しています。総務省によると「小学生より短い」(平成28年社会生活基本調査)。米国の学生と比べた調査でも、日本の学生の学修時間が短いことが判明しています。

 学生の肩を持つわけではないけれど、現状では長くしようがありません。学期中に履修する授業コマ数が多すぎるのです。先日、ある国立大学の学生たちと話していたら、大半が12コマから15コマもとっていました。

 1単位の学修時間は45時間が基本です(大学設置基準)。単純に1科目2単位で計算すると

 (45×2)×15=1350

授業の時間を含めると、15コマとったら学期中に1350時間の学修が必要です。1学期15週として、1週間当たりの学修時間は90時間。土日は休むとして、月曜から金曜までの5日間、毎日18時間もどうやって勉強するのでしょうか。睡眠や食事、入浴の時間もとれません。大学設置基準通りに勉強させたら「ブラック大学」です。

 学修時間を長くしたいのなら、授業科目数を制限する一方で、一つの授業の単位数を実際に勉強する時間を見込んで重くすることです。たとえばClass Qが6単位だっていい。学生は週に15コマも取らなくていいし、簡単に履修も辞退しなくなるから、学期末まで必死に勉強するはずです。 

 

 大学だけ「しっかり学べ」では、学びの場の空気入れ替えにはなりませんね。小学校から「学ばなければ落第」システムを導入したらどうでしょう。

 かつて山崎正和さん(故人)が問題提起しました。日本の教育方針を決める中央教育審議会会長も務めた人が、読売新聞一面で大改革を求めたのです。題して「教育改革への注文 高学歴・低学力の風潮正せ」。分数のできない学生、新聞1面のトップ記事も読み通せない学生がなぜ大学にいるのか? 「(その理由は)小・中学校の教育が質的に不十分であって、学力の備わらない生徒を高校に送るからである。戦後の小・中学校には落第や留年の制度がなく、学業の遅れた生徒でも『寒天突き』のように卒業させてしまう。教師の能力や熱量にも問題があるが、親の関心も子どもの勉強より卒業証書に傾いている」(2013年4月4日)

 掲載日の翌日、文科省の課長クラスに感想を聞きました。「気持ちはわかるけれど、ムリ」「困ったことを…」。反応は今ひとつでした。

 カラスみたいに、さっと飛び込んで洗い流せるようなものではないみたいです。(マツミナ)

 

退学率が察知する「有毒ガス」は何か

  

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寒気が緩み、アンネのバラが咲き始めた(イデちゃん)

 オリ・パラ組織委会長の発言に端を発した田舎芝居は第一幕「会長辞任」が終わり、第二幕「後任選定」の幕が上がりました。幕間のドタバタで思い出したのはK・マルクスの指摘です。「ヘーゲルは言った。歴史は繰り返すと。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」。釈明の記者会見までの支離滅裂ぶりと後任選定の朝令暮改状態からすると、一度目は「喜劇」、二度目は「悲劇」と言った方が当たっているかも知れません。第三幕では座布団が乱れ飛ぶことでしょう。

 

 さて、留守中にミナさんから「退学率は誰の責任か」という大きな宿題が出されました。退学率が大きな変化の予兆を察知する「炭鉱のカナリア」だとしたら、退学率が察知する「有毒ガス」は何か。

 

 日本の大学は諸外国に比べて退学率は低いようです。日本では入学しさえすれば卒業は容易なのに対し、欧米諸国では、入学は容易でも卒業が難しいといわれます。大学での学びの価値付けが日本とは異なり、求める資格や実績が満たされれば、卒業には固執しない考え方があるのかも知れません。

 2014年、オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授がAI(人工知能)の発展によって「あと10年で人間が行う仕事の約半分が機械に奪われる」という予測を発表しました。「消える職業」の中に、特許専門の弁護士、銀行の融資担当といった比較的高度な知識を要する職種が含まれていました。

 日本では「いい大学に行って、いい会社に入って、生涯安定した生活を送る」という選択が長いこと是とされて来ましたが、高等教育の大衆化と雇用形態の変化が進み、それが色褪せてきた感がします。そこへ仕事の約半分が機械に奪われるという予測がされたわけですから、「大学を出れば何とかなる」という「共同幻想」は遠からず終焉を迎えるでしょう。そんな時代の到来が迫る一方で、多くの大学はカウンセリングや授業出席を管理するなど退学予防対策に力を入れています。手厚いサポートで無事卒業し就職したとしても、大卒者の3割が3年以内に辞めている実状を見れば、もともと大学に来なければよかったのにと思うのはいけない考えでしょうか。

 

 第一志望が「一番行きたい大学」ではなく「受かる大学」だとすれば、「大学で何を学ぶか」より「入るための選択」が優先されるのは当然です。そして、入学してもよほどしっかりした目的意識がなければ、大学で学ぶことの意義や意味を見出せないまま、無為に過ごしてしまうのも、また当然でしょう。だったら、4年間も遊ばせないで、社会に出てすぐ役に立つ技術や知識を身に付けさせ、即戦力として使ってもらおうと考えるのもこれまた当然。当然の積み重ねで、大学の専門学校化が押し進められ、実学優先、人文軽視の風潮に拍車が掛かるのです。10年後には無用になっているかも知れない知識や技能を身に付けさせるために。

 

 そこで「退学率」は誰の責任か――。「入れる大学」を進めた高校の先生。面白くもない授業を連綿と続ける大学の先生。小さい頃から「学ぶこと」の意義や「生きる」ことの意味を分かり易く教えてこなかった小中学校の先生。個性重視、創造性に富む人材をと言いながら扱いやすい学生を求める企業。失敗を許さない不寛容な社会。もちろん、保護者の育て方や期待の中身、学生自身の考え方や生き方にも責任ありです。全員が共同正犯です。

 退学率が察知する「有毒ガス」とはこうした「学びの衰退」を指すのではないでしょうか。

 言いたい放題で、ああ、スッキリした。件の会長もこれくらい放言すれば、辞任しても悔いはなかったでしょうね。(イデちゃん)

 

 

「退学率」は誰の責任か

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鼻にご飯粒がついてるよ。気づいてる?(マツミナ)

 昨日に引き続き、退学について書きます。

 「退学率」は誰の責任か。ひょっとしたら「退学理由」から読み解けるのではないかと考え、「大学の実力」調査*で尋ねたことがありました。

 大学の回答によると、最も多かったのは「進路変更」(専門学校に進学、就職)でした。「他大学への進学」も合わせると「この大学ではなかった」が最も多いことになります。「経済的理由」はその次でした。

 大学や学生、退学者らに取材するうちに「第一志望でも不本意入学」という現実があることを知りました。第一志望といえば、本人が「一番行きたい大学」。とはいえ、本人だけでなく、親や高校の先生も浪人は避けたいために、「合格圏内」がゴールに設定されます。「行きたい大学」ではなく「受かる大学」です。そこに「早く決めたい」という気持ちが加わると、指定校推薦や総合選抜(かつてのAO)など秋には合格が決まる入試枠を目指すことになります。合格が決まった生徒の大半は、入学までの半年近くをぼんやり過ごすことになります。よほどしっかりした目的意識がなければ、この時期を意欲的に乗り越えることは困難です。入試方法別の退学率をみると、一般入試よりも推薦入学の方が高いのは、そういう事情が絡んでいます。

 次いで多い「経済的理由」にしても、全てを「貧困」と結びつけていいとは言い切れません。退学理由がわからないと「経済的理由」と処理してしまう大学は珍しくありません。一方の学生も、「経済的理由」を方便として使っている傾向もあるようでした。

 

 退学率の責任を誰かに押し付けることはできません。けれども「誰も責任がない」と放置しておいていい問題ではない。まず大学が、退学率などの学生の状況をデータで公開し、説明することからでないと、この問題が本当に意味していることはわからないでしょう。

 学生は可能性の塊です。そののびしろを大事にするためにも、よりよい進路選択をしてもらうためにも、退学問題について対話し始めてもいいのではないでしょうか。(マツミナ)

 

*「大学の実力2019」(中央公論新社刊 19ページ)

 

退学率は何を示すか

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私の血液は、砂糖と生クリームでできているのかも(撮影・マツミナ)

 今日は久しぶりに、「大学の実力」調査*について語り合うことができました。宮城県市民グループのオンライン勉強会にお招きいただきました。コロナ禍で学生たちがどういう困難に直面しているかを心配し、退学状況などのリサーチを始められたとか。なんと頼もしい。かつて自分が手がけた調査が、今でも何かのお役に立てていることも嬉しい限りです。

 「大学の実力」は、私が読売新聞記者時代に11年間続けた調査です。日本で初めて、各大学・学部の留年・退学・卒業率などを明らかにした調査で、2009年に初めて紙面に掲載した一覧表は、海外のメディアに紹介されるほど大きな話題を呼びました。

 当初、大学からはずいぶん抗議を受けました。「数字のひとり歩き」「風評被害で受験生が来なくなる」…。その度に、ランキングや偏差値頼りではなく、データをもとに、自分の道を自分で選べる高校生を一緒に育てていきませんか、と頭を下げたものでした。

 11年の間には回答率が92%にまで上がり、「大学の実力」のデータを使った進路指導に取り組む先生が現れました。「『大学の実力』で進路を決めました」と笑顔で話す学生にも会いました。けれども偏差値や知名度、入試科目・日程で進路を選ぶ風潮は覆せず、私の退職と同時に調査も終わりました。

 

 今日のテーマは「退学率」でした。この数字が何を示すのか、参加者の関心はそこに集中していました。退学率が何を示すかを簡単に説明できないのは、今も同じです。大学・学部に足を運び、学生や退学者に取材しなければ、その意味はわかりません。問題が高校の進路指導にあるケースもあれば、本人や親ということもある。もちろん、大学にある場合もあります。

 ある工業大学では毎年、近隣のライバル大学に比べて高い退学率を出していました。成績評価を厳格にしているためでした。理系の学問は積み上げ型なので、いったんつまずくとリカバーが難しいこと、学費も高額のため、早く進路を転換させた方がよいと考えての対応でした。退学率は確かに高いけれど、悪い大学と言っていいのか。一方で「うちは退学率が低い」と胸を張る大学もありました。けれども実数で見ると、学年の300人も退学していました。退学「率」だけではわからないのです。

 自分の道を見つけて大学を飛び出すのは、本人にとっては新しい人生の始まりですが、大学にとっては「退学」です。こういう現実から考えると、「経済的損失」という観点で退学率を云々するのは難しいでしょう。ただ、退学率は何かを意味している、しかも大きな変化の予兆ではないか、ひょっとしたら「炭鉱のカナリア」ではないかと、取材しながらいつも考えていました。

 今日はそんなことをお伝えしてきました。コロナ禍の学生を支援する何らかのお役に立てればいいなあと思いながら。

 同時に反省しました。学生にあれだけ「自分の問いを大切にしろ、考え続けろ」と言っているにもかかわらず、放置していました。今の自分の原点なのに。あかん。

 呼んでくださった皆さんに改めて感謝です。これを読んでくださった方も、大学だけでなく、学びの現場の今と未来を一緒に考えていただければありがたいです。(マツミナ)

 

*『大学の実力』 2011~2019はいずれも中央公論新社刊。

 

「教える」は最高の学び

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授業前にチャージしました(撮影・マツミナ)

 今日からオンラインでの入学準備教育が始まりました。春から帝京大学に通う高校生78人を対象にした「質問力を磨く(ClassQ)」を現役の学生と一緒に開講しました。結論から言うと、「教える」が最高の学びになる、というのは本当ですね。高校生の表情や発言に目を配り、臨機応変に対応する学生の姿に感心しました。

 

 入学準備教育は、「質問力を磨く(Class Q)」の入門編です。初回の今日は、朝刊で気になった記事を1人ひとつずつ紹介する「まわしよみ新聞」、社説を実際に書き写すなどを体験してもらいました。その後は学生たちが「なんでも相談室」を開いてくれました。高校生のどんな悩みでも聞くよ、という場です。

 学生たちはこのところ毎日のようにミーティングを重ね、今日も直前まで最終確認に臨んでいたとか。自分の入学前はどうだっただろうか。先輩として教えられることとは何だろう。何度も話し合ったそうです。「教えるって難しい。責任が重い」と学生たちは口を揃えていました。学期中の授業では全く見られなかった姿です。いつもこうだったらいいのに…は、言わぬが花でしょうね。

 その情熱はしっかりと高校生に響きました。Class Q後に高校生から寄せられたメールは「先輩たちがかっこよかった」と絶賛する内容が目立ちました。「みんなの意見を束ねて会を進行させて、すごい」「気を配れる大人」。学生に伝えたら天狗になるかもしれないから、黙っていようかしら(笑)。

 「尊敬」を含んだまなざしは、黙っていても通じるのでしょうか。一方の学生たちも「入学前から頑張ろうとする高校生を全力で支えたい」「高校生のやる気をアップさせるコメントの仕方を考えたい」とあたたかい発言が出てきます。入学当時の自分の姿を重ね合わせて「残る学生生活を有意義に過ごしたい」と謙虚な発言をする学生もいました。高校生と大学生の間に、ともに学ぶ仲間としての意識が醸成されたようです。

 実は、今日のClass Qはハプニングで幕を開けました。緊張で強張った高校生と学生の顔に向かって「こんにちは~」と声をかけた瞬間、画面が暗転。何が起きたのかとびっくりしていたら、なんと暗転の原因は私でした。長くもない脚をぶらぶらさせて、パソコンのコードに引っ掛けてしまったのです。あちゃ~。

 パソコンを再起動させてClass Qに戻ると、みんな仰天したためか、緊張も同時に解けた表情でした。「先生がどっか行っちゃった~」と慌てていたとか。怪我の功名? 私が言うのは厚かましいですね。

 

 Class Qを終えて、午後7時のニュースを見てビックリ。森会長に指名された川淵氏が一転「引き受けない」と発言したとか。リアルでは、いい歳した大人たちが「かっこ悪い日本」を世界に発信していたのですね。高校生の学びのために力を尽くす「かっこいい学生」を見習ってほしいものです。(マツミナ)

 

なぜ学生は差別問題に「他人事」か

 

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疲れた時は、甘いもの。ボウルいっぱい生クリームを食べたい(撮影・マツミナ)

 森会長がとうとう辞任するようですね。でも、辞任で一件落着では困ります。問題の根底にある日本社会の病巣まで論議を深めてほしいと願っています。

 イデちゃんも心配していましたね。「議論の核心が功績の大きさや受け止める側の不寛容さにすり替えられ、問題の焦点が曖昧にされていく」と。すでに学生たちにとって「他人事」かもしれない、と危惧しています。昨日のClass Qで、首を傾げたくなる学生たちの発表を目の当たりにしたからです。

 課題は「女性が増えると」発言の記事。これを「東京パラリンピック出場が決まっている女性アスリート」の立場で考えてもらいました。出てきたのは、こんな質問です。

 

 〈問題をきっかけに〉

1、あなたは森さんの発言をどう思いましたか?

2、あなたは差別を当たり前だと思っていませんか?

3、個性を否定されない世の中を創るために、私はどう意識的に行

動していくか?

 

 1、2の質問は重複しています。問題を分解できずに質問をつくるとこうなり、最後はアクションプランっぽい質問でお茶を濁す。学生の逃げのパターンです。

 

 〈私たちも同じ「人」、環境を少しずつ変えていこう!〉

1、なぜ森会長は差別的な発言を繰り返しているのか?

2、森会長が身を置いてきた環境はどのようなものだったか?

3、今の環境との違いは何か?

 

 環境や世代で説明できる問題ではありません。

 

 差別が絡む問題になると、なぜか学生は「他人事」になります。「自分事」ではないから、どこか「及び腰」なのです。幸運なことに差別されたことがないからかもしれません。昨年起きた米国でのデモにしても「黒人差別」という形でとらえる傾向が強く、「人種差別」、ましてや自分たちが「黄色人種」で「差別される側」であることに気がついていないのでしょうか*。

 

 この問題を課題にしたのは、学生たちに理不尽と戦う知的基礎体力をつけてほしかったからです。卒業して働き始めたら、性別や年齢、国籍による差別を受けることになるでしょう。他人事ではいられません。その時、敢然と立ち向かい、感情ではなく論理で「あなたの言動に問題がある」ことを相手に説明しなくてはいけないのです。理不尽に対して「ノー」と言う。学生たちに磨かせている「質問力」はその役に立ちます。

 またこうした問題を学生たちに投げてみます。(マツミナ) 

 

 *明治大学廣部泉教授もその著書で学生について次のように書いています。

「豊かで安全な日本社会に暮らす彼らは、同じく豊かで安全な郊外に暮らす『アメリカ白人』の視線を我がものとし、むしろ貧しい人々を他者化している」(『黄禍論~百年の系譜』より)

 

「いい歳こいて、みっともない」と言われないために

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春を待つ二人の語らいは…。「早くコロナが終わるといいね」かな。(撮影・イデちゃん)

「女性がいる理事会は時間がかかる」などと暴言を吐いたオジサンの記者会見は、暴言以上に無神経で想像力に欠けるものでした。これでは収まりがつかないなと誰もが思ったことでしょう。ところが「暴言は許せないが、これまでの功績に国民は感謝すべし」とか「たった一言の失言も許せないというのは寛容さに欠ける」とか、助け舟を出す人が現れました。こうやって議論の核心が功績の大きさや受け止める側の不寛容さにすり替えられ、問題の焦点が曖昧にされていくのでしょうね。

「老人をいじめるな、許すという行為は日本人の美徳だ」などと、独りよがりな日本人論を持ち出す人も出てきましたよ。「惻隠」だの「宥恕」だのと難しい用語を引っ張り出して、夜郎自大な精神論が幅を利かすようになるのは、ごめんです。

大きな頭の5歳児に「ぼーっと生きてんじゃねーよ」と大人が叱り飛ばされるT V番組が人気です。私たちも「大人の姿を当たり前と思わない、想像力たくましい次世代」(マツミナ)に「いい歳こいて、みっともねーよ」って言われないようにしなくては。

 

学生の頃の友人に面白い奴がいました。小説家志望の彼は芥川賞を取ると宣言し、作家修業と称して、風景や人の動作、音や色などを自分の言葉に置き換えてノートに書き留めていました。煙草の煙を「紫煙」のような使い古された言葉ではなく、「不透明な息」とかなんとか、彼なりに格好つけて表現していたのを覚えています。

彼に言わせれば「こういう言葉の蓄積」を何千何万と持っている小説家がいるそうで、その作家は「二度と同じ表現を使わない」ということでした。

大学を卒業して数年後、彼の家を訪ねました。昔話に花が咲いた後、「これ見てくれ」と押し入れに積まれた原稿用紙を見せられました。書き溜めた小説の束です。「芥川賞をとった後の第二作、三作も用意してある」とのこと。あれから何十年も経ち、彼は芥川賞とも文壇とも無縁のまま旅立ちました。あの膨大な未発表原稿や言葉を書き留めたノートを持っていったでしょうか。

 

以前、「読む」とは言葉を通して考えること、「見る」とは違うと書きましたが、私は書くことも同じだと考えます。「書く」とは言葉を通して考えることです。ミナさんは「自分のつまずきを言語化しておく必要がある」と言っています。言葉で書き留めておくということですね。

書くことによって、頭の中にある未分化で整理のつかないイメージに形を与えることができます。文字に置き換えることによって、自分の考えを「可視化」することができます。そうすれば後で読み返して修正することができるし、人に伝えることもできます。未完の作家で終わった友人が続けた修業は「イメージの可視化」トレーニングだったのです。

 

「頭の中の言葉をどんどん書き出して、床やテーブルの上に広げていく」ことによって、言葉と言葉が繋がり、新しい発想が生まれる。小さな情報カードが「知の連鎖」を作り出されるのですね。まさに「魔法のカード」です。(イデちゃん) 

質問を100倍楽しくする魔法のカード

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ミニ情報カードを使って、思考を広げる


 今日は、質問づくりが100倍楽しくなる100均グッズを紹介します。

 質問は苦手、頭がカタイとお悩みの方、ダイソーの「ミニ情報カード」*はいかがでしょうか。名刺サイズのカードで、頭の整理にはもってこいのスグレモノです。ClassQの学生にも勧めています。前は大きめの付箋を使っていましたが、並べ替えのしやすさで勝負ありです。

 使い方は簡単。頭の中の言葉をどんどん書き出して、床やテーブルの上に広げていくだけです。筆記用具には、太めの黒サインペンがいいですよ。俯瞰する際にも難なく読めますから。

 質問づくりに欠かせないのは、目の前の情報を分解することです。大きな知の塊を丸ごと飲み込もうとすると、消化不良を起こします。前にイデちゃんが言っていましたね。そこで単語に細かく分けていく。不思議なことに、分解すると隠れていた言葉が浮上してきます。それもすかさず情報カードに書き留めていくと、さらに思考が広がるのです。分解し、分類し、見下ろす。そしてまた並べ替えて、言葉同士の組み合わせを変えて、新しい質問を作る――そんなプロセスをカードが助けてくれます。

 写真は、Qゼミ生が広げたカードです。ゼミ生は「なぜ防衛問題への関心が低いのか」と問題意識を持ち、私が勧めた本を片っ端から読み進めている最中です。「敗北を抱き締めて」(ジョン・ダワー)、「閉ざされた言語空間」(江藤淳)、「黄禍論」(廣部泉)、「アメリカの世紀と日本」(ケネス・B・パイル)……。入れたら出す。自分で書いた要約のノートを片手に、キーワードを書き出し、論文の柱になる質問を作ろうとしています。

 ちょっと脱線します。好奇心ってすばらしい。ゼミ生は初め「あまり本を読んだことがない」と心配していましたが、あっという間に読破しました。好奇心がページをめくらせ、章ごとの要約まで難なく書かせました。「スラスラ読めた」と満面の笑顔です。

 

 学生に受けるのなら、企業人でもいけるかも。というわけで昨夜は、企業人が参加するClass Qに持ち込みました。上智大学のだだっ広い会議室に、数人が集まりました。教材は、中国の海軍力増強や領海侵犯に関する記事。尖閣諸島付近で漁をする「石垣市の漁師になりきって」読み、質問を作ってもらいました。

 分解が苦手なのは、人生経験の豊富な企業人も変わらないようです。たとえばこんな質問がありました。

 〈海の安全を確実に守ってくれるのか〉

 「海・安全・確実・守る・くれる」と大雑把に分解して、カードに書き出してみると「海」の「安全」を「守る」とは、「誰が」「いつ」「どんな態勢で」などと見えなかった言葉がいくつも出てくるのです。「確実」という「レベル」はどういう「状態」か、という質問も出ます。「おー、面白い」とどよめきが上がりました。

 

 ちなみに情報カードにはB6サイズもあり、こちらもお勧めです。新聞記事のスクラップに使えます。スクラップブックは貼った後の分類が難しいけれど、これならいくらでも入れ替えができます。こちらもダイソーでどうぞ。宣伝費をもらっているわけではないからね。念のため。(マツミナ)

 

*「アウトプット大全」(樺沢紫苑、サンクチュアリ出版)を参考にしました。精神科医の樺沢さんは「人生を変えるのは、アウトプットだけ」を提唱し、自身も毎日3時間以上の執筆を11年以上続けています。発想を広げる際に使うのが、ミニ情報カードだそうです。

 

 

質問を100倍楽しくする魔法のカード

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ミニ情報カードを使って、思考を広げる


 今日は、質問づくりが100倍楽しくなる100均グッズを紹介します。

 質問は苦手、頭がカタイとお悩みの方、ダイソーの「ミニ情報カード」*はいかがでしょうか。名刺サイズのカードで、頭の整理にはもってこいのスグレモノです。ClassQの学生にも勧めています。前は大きめの付箋を使っていましたが、並べ替えのしやすさで勝負ありです。

 使い方は簡単。頭の中の言葉をどんどん書き出して、床やテーブルの上に広げていくだけです。筆記用具には、太めの黒サインペンがいいですよ。俯瞰する際にも難なく読めますから。

 質問づくりに欠かせないのは、目の前の情報を分解することです。大きな知の塊を丸ごと飲み込もうとすると、消化不良を起こします。前にイデちゃんが言っていましたね。そこで単語に細かく分けていく。不思議なことに、分解すると隠れていた言葉が浮上してきます。それもすかさず情報カードに書き留めていくと、さらに思考が広がるのです。分解し、分類し、見下ろす。そしてまた並べ替えて、言葉同士の組み合わせを変えて、新しい質問を作る――そんなプロセスをカードが助けてくれます。

 写真は、Qゼミ生が広げたカードです。ゼミ生は「なぜ防衛問題への関心が低いのか」と問題意識を持ち、私が勧めた本を片っ端から読み進めている最中です。「敗北を抱き締めて」(ジョン・ダワー)、「閉ざされた言語空間」(江藤淳)、「黄禍論」(廣部泉)、「アメリカの世紀と日本」(ケネス・B・パイル)……。入れたら出す。自分で書いた要約のノートを片手に、キーワードを書き出し、論文の柱になる質問を作ろうとしています。

 ちょっと脱線します。好奇心ってすばらしい。ゼミ生は初め「あまり本を読んだことがない」と心配していましたが、あっという間に読破しました。好奇心がページをめくらせ、章ごとの要約まで難なく書かせました。「スラスラ読めた」と満面の笑顔です。

 

 学生に受けるのなら、企業人でもいけるかも。というわけで昨夜は、企業人が参加するClass Qに持ち込みました。上智大学のだだっ広い会議室に、数人が集まりました。教材は、中国の海軍力増強や領海侵犯に関する記事。尖閣諸島付近で漁をする「石垣市の漁師になりきって」読み、質問を作ってもらいました。

 分解が苦手なのは、人生経験の豊富な企業人も変わらないようです。たとえばこんな質問がありました。

 〈海の安全を確実に守ってくれるのか〉

 「海・安全・確実・守る・くれる」と大雑把に分解して、カードに書き出してみると「海」の「安全」を「守る」とは、「誰が」「いつ」「どんな態勢で」などと見えなかった言葉がいくつも出てくるのです。「確実」という「レベル」はどういう「状態」か、という質問も出ます。「おー、面白い」とどよめきが上がりました。

 

 ちなみに情報カードにはB6サイズもあり、こちらもお勧めです。新聞記事のスクラップに使えます。スクラップブックは貼った後の分類が難しいけれど、これならいくらでも入れ替えができます。こちらもダイソーでどうぞ。宣伝費をもらっているわけではないからね。念のため。(マツミナ)

 

*「アウトプット大全」(樺沢紫苑、サンクチュアリ出版)を参考にしました。精神科医の樺沢さんは「人生を変えるのは、アウトプットだけ」を提唱し、自身も毎日3時間以上の執筆を11年以上続けています。発想を広げる際に使うのが、ミニ情報カードだそうです。

 

 

質問を100倍楽しくする魔法のカード

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ミニ情報カードを使って、思考を広げる


 今日は、質問づくりが100倍楽しくなる100均グッズを紹介します。

 質問は苦手、頭がカタイとお悩みの方、ダイソーの「ミニ情報カード」*はいかがでしょうか。名刺サイズのカードで、頭の整理にはもってこいのスグレモノです。ClassQの学生にも勧めています。前は大きめの付箋を使っていましたが、並べ替えのしやすさで勝負ありです。

 使い方は簡単。頭の中の言葉をどんどん書き出して、床やテーブルの上に広げていくだけです。筆記用具には、太めの黒サインペンがいいですよ。俯瞰する際にも難なく読めますから。

 質問づくりに欠かせないのは、目の前の情報を分解することです。大きな知の塊を丸ごと飲み込もうとすると、消化不良を起こします。前にイデちゃんが言っていましたね。そこで単語に細かく分けていく。不思議なことに、分解すると隠れていた言葉が浮上してきます。それもすかさず情報カードに書き留めていくと、さらに思考が広がるのです。分解し、分類し、見下ろす。そしてまた並べ替えて、言葉同士の組み合わせを変えて、新しい質問を作る――そんなプロセスをカードが助けてくれます。

 写真は、Qゼミ生が広げたカードです。ゼミ生は「なぜ防衛問題への関心が低いのか」と問題意識を持ち、私が勧めた本を片っ端から読み進めている最中です。「敗北を抱き締めて」(ジョン・ダワー)、「閉ざされた言語空間」(江藤淳)、「黄禍論」(廣部泉)、「アメリカの世紀と日本」(ケネス・B・パイル)……。入れたら出す。自分で書いた要約のノートを片手に、キーワードを書き出し、論文の柱になる質問を作ろうとしています。

 ちょっと脱線します。好奇心ってすばらしい。ゼミ生は初め「あまり本を読んだことがない」と心配していましたが、あっという間に読破しました。好奇心がページをめくらせ、章ごとの要約まで難なく書かせました。「スラスラ読めた」と満面の笑顔です。

 

 学生に受けるのなら、企業人でもいけるかも。というわけで昨夜は、企業人が参加するClass Qに持ち込みました。上智大学のだだっ広い会議室に、数人が集まりました。教材は、中国の海軍力増強や領海侵犯に関する記事。尖閣諸島付近で漁をする「石垣市の漁師になりきって」読み、質問を作ってもらいました。

 分解が苦手なのは、人生経験の豊富な企業人も変わらないようです。たとえばこんな質問がありました。

 〈海の安全を確実に守ってくれるのか〉

 「海・安全・確実・守る・くれる」と大雑把に分解して、カードに書き出してみると「海」の「安全」を「守る」とは、「誰が」「いつ」「どんな態勢で」などと見えなかった言葉がいくつも出てくるのです。「確実」という「レベル」はどういう「状態」か、という質問も出ます。「おー、面白い」とどよめきが上がりました。

 

 ちなみに情報カードにはB6サイズもあり、こちらもお勧めです。新聞記事のスクラップに使えます。スクラップブックは貼った後の分類が難しいけれど、これならいくらでも入れ替えができます。こちらもダイソーでどうぞ。宣伝費をもらっているわけではないからね。念のため。(マツミナ)

 

*「アウトプット大全」(樺沢紫苑、サンクチュアリ出版)を参考にしました。精神科医の樺沢さんは「人生を変えるのは、アウトプットだけ」を提唱し、自身も毎日3時間以上の執筆を11年以上続けています。発想を広げる際に使うのが、ミニ情報カードだそうです。

 

 

質問を100倍楽しくする魔法のカード

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ミニ情報カードを使って、思考を広げる


 今日は、質問づくりが100倍楽しくなる100均グッズを紹介します。

 質問は苦手、頭がカタイとお悩みの方、ダイソーの「ミニ情報カード」*はいかがでしょうか。名刺サイズのカードで、頭の整理にはもってこいのスグレモノです。ClassQの学生にも勧めています。前は大きめの付箋を使っていましたが、並べ替えのしやすさで勝負ありです。

 使い方は簡単。頭の中の言葉をどんどん書き出して、床やテーブルの上に広げていくだけです。筆記用具には、太めの黒サインペンがいいですよ。俯瞰する際にも難なく読めますから。

 質問づくりに欠かせないのは、目の前の情報を分解することです。大きな知の塊を丸ごと飲み込もうとすると、消化不良を起こします。前にイデちゃんが言っていましたね。そこで単語に細かく分けていく。不思議なことに、分解すると隠れていた言葉が浮上してきます。それもすかさず情報カードに書き留めていくと、さらに思考が広がるのです。分解し、分類し、見下ろす。そしてまた並べ替えて、言葉同士の組み合わせを変えて、新しい質問を作る――そんなプロセスをカードが助けてくれます。

 写真は、Qゼミ生が広げたカードです。ゼミ生は「なぜ防衛問題への関心が低いのか」と問題意識を持ち、私が勧めた本を片っ端から読み進めている最中です。「敗北を抱き締めて」(ジョン・ダワー)、「閉ざされた言語空間」(江藤淳)、「黄禍論」(廣部泉)、「アメリカの世紀と日本」(ケネス・B・パイル)……。入れたら出す。自分で書いた要約のノートを片手に、キーワードを書き出し、論文の柱になる質問を作ろうとしています。

 ちょっと脱線します。好奇心ってすばらしい。ゼミ生は初め「あまり本を読んだことがない」と心配していましたが、あっという間に読破しました。好奇心がページをめくらせ、章ごとの要約まで難なく書かせました。「スラスラ読めた」と満面の笑顔です。

 

 学生に受けるのなら、企業人でもいけるかも。というわけで昨夜は、企業人が参加するClass Qに持ち込みました。上智大学のだだっ広い会議室に、数人が集まりました。教材は、中国の海軍力増強や領海侵犯に関する記事。尖閣諸島付近で漁をする「石垣市の漁師になりきって」読み、質問を作ってもらいました。

 分解が苦手なのは、人生経験の豊富な企業人も変わらないようです。たとえばこんな質問がありました。

 〈海の安全を確実に守ってくれるのか〉

 「海・安全・確実・守る・くれる」と大雑把に分解して、カードに書き出してみると「海」の「安全」を「守る」とは、「誰が」「いつ」「どんな態勢で」などと見えなかった言葉がいくつも出てくるのです。「確実」という「レベル」はどういう「状態」か、という質問も出ます。「おー、面白い」とどよめきが上がりました。

 

 ちなみに情報カードにはB6サイズもあり、こちらもお勧めです。新聞記事のスクラップに使えます。スクラップブックは貼った後の分類が難しいけれど、これならいくらでも入れ替えができます。こちらもダイソーでどうぞ。宣伝費をもらっているわけではないからね。念のため。(マツミナ)

 

*「アウトプット大全」(樺沢紫苑、サンクチュアリ出版)を参考にしました。精神科医の樺沢さんは「人生を変えるのは、アウトプットだけ」を提唱し、自身も毎日3時間以上の執筆を11年以上続けています。発想を広げる際に使うのが、ミニ情報カードだそうです。

 

 

議論に時間をかけるのは悪いことか

 

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大あくび。人間界のドタバタに関心はないようだ(撮影・マツミナ)


 今日は日曜日だというのに、午前8時半からClass Qの学生たちを呼び出し、Zoomで話し合いをしました。議題は、数日後に迫る入学準備教育の日程や態勢の見直し。予想を上回る78人もの高校生が参加を希望してくれたためです。 

 Zoomだから、一方的な講義であればどれほどの人数でもなんとかなります。ただ今回は、大学と高校の学びはどう違うのかや、質問することで自分の何が変わるのかなど、高校生と学生がやりとりを重ねて考える場。少人数の方が目的にかなっています。

 そこで、当初予定していた毎週金曜日15時~16時半の1クラスに、同じ日の13時~14時半を加え、2クラスにする案を代替案として示しました。同じ日ならば、それほど学生の負担になる時間ではないと考えての案です。難なく学生の了承を得て、週明けには高校生に通知を出せるとみていました。

 結論から言うと、この案は学生に否決されました。

 「高校3年でもまだ授業があるかもしれないから、13時は難しいのではないか」「遅い時間の方が融通がきくのでないか」――学生は「高校生の都合を優先させたい」と考えたのです。それでも参加しにくいようなら、再度日程調整した方がいいのではないか、という意見までありました。

 「自分以外の誰かになりきって」質問するのが、Class Qでの学びの第一歩。視点を変えてものを考える「視点転換」に、学生は毎度「難しい」と悲鳴をあげていました。でも、いつの間にやら、会ったことのない、名前も知らない高校生の生活を想像し、配慮していたのです。

 今日実感できた学生の成長は、それだけではありません。

 ほとんどの学生が他人の前で発言することを恐れていました。目立ちたくない、みんなと違うことを言いたくないなど様々な不安が根底にあります。もちろん、議論も苦手でした。異なる意見が出てきたら、どう対処したらいいのかが分からないからです。

 その学生が私の案に疑問を呈し、高校生が参加しやすい場を設けたいという思いを吐露して、代替案も出せるようになっていました。予定では30分で終了するはずのミーティングが20分もオーバーしましたが、日曜日の朝にふさわしい、すてきな時間になりました。

 

 「女性がいる理事会は時間がかかる」などと暴言を吐いたオジサンは、想像力が欠如しているというイデちゃんの指摘に賛成です。この発言がどれほど人に不快感を与えるか、自分の立場で発言したらどんな波紋が広がるか、全く想像できないのでしょうね。

 ひょっとしたら、このオジサンは議論をしてこなかったのではないでしょうか。国の未来を考え、議論する立場なのに。はじめから結論ありきの会議だけで今日までやってこれた。その結果、議論に時間をかけるのは悪いことだ、という思い込みを持ったのかもしれません。そうした大人の姿を当たり前と思わない、想像力たくましい次世代を育てないといけませんね。(マツミナ)

  

 

 

無神経で想像性に欠ける発言

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高枝の剪定はクレーン車に乗って(撮影・イデちゃん)


 
何回か前に「夜の銀座に繰り出す国会議員の想像力の無さに呆れる。社会のあらゆるところで劣化が進んでいる」と書いたばかりでしたが、それを証明するようなニュースが世界中を駆け巡りました。想像を絶するほどの想像力のなさに驚くばかりです。会見の様子をテレビで見ながら、もしかしたら、この方はオリンピック憲章を読んだことがないのでは、という疑念が浮かびました。だから、あのような無神経で想像性に欠ける発言をするのではなかろうかと。見てはいるけれど読んではいない。憲章に書かれている言葉を読んで理解し、自分の頭の中に落とし込んでいないから、憲章の精神に反するようなことを言ってしまうのではないのかと思ったのです。

 「わかる」と「わかったつもり」は似て非なるものです。私の杞憂であれば幸いですが。

 

 ふと、以前研修会で聞いた話を思い出しました。上野動物園に初めてカバが来た頃の話です。

 カバに赤ちゃんができました。しかし、その頃日本にはまだカバに関する資料が乏しくて、飼育係の人たちはカバがどのようにして出産するのか知りませんでした。いろいろな本で調べたり、あちこち問い合わせたりしてもよくわかりません。

 いよいよ出産の時が近づきました。カバはどこで赤ちゃんを産むのだろう。どうやってお乳を飲ませるのだろう。わからないことだらけです。中でも係の人たちを一番悩ませたのは、カバの住む池の水をどうしたらいいかということでした。カバは水中でお産をして、お乳も水の中で与えるのだそうです。体が大きいカバは陸上では自由がきかず、外敵から子どもを守ることができません。また、あの体型では乳房のある場所に子どもがもぐり込むことも困難です。だから水の中でお乳を与えるのが、カバ

にとって一番安全で楽な方法なのです。

 そうとは知らない飼育係の人たちはカバの赤ちゃんがおぼれたら困ると考え、池の水を抜いてしまいました。赤ちゃんはお母さんのお乳を飲むことができなくて死んでしまったそうです。

人の想像力がカバの知恵に及ばなかったというお話です。

 

 人間は失敗から得た教訓や学びを次の機会に生かす知恵を持っています。動物園の飼育係が二度と同じ失敗を繰り返さなかったことはいうまでもありません。想像力は豊かな知恵の源です。(イデちゃん)