idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

テーマを見つけられないのは、学生の問題か

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塩麹に2日漬け込むだけで別格の味わい。カボスを添えて(マツミナ)

 

   ゼミの教授に「卒論のテーマをください」と求める学生は、特殊な事例ではないと見ています。新聞記者時代に取材した大学で似たような話をしょっちゅう聞いていたからです。

 「自分の知識と経験をフルに使い、オリジナルなテーマを見つけ出す力が衰えている」――。嘆く大学の先生たちに同情する一方で、内心では、そうした力が衰えているのは学生だけだろうかと首をかしげていました。国公私立、どの大学を取材していても既視感のある取り組みばかりが目についていたのです。

 

 初年次教育はその一例です。新入生を対象にした教育プログラムで、大学での学び方を手取り足取り教えていました。高校と大学では学び方が違うことを伝えることが眼目で、もとは1980年~90年代にアメリカの大学で広がっていたプログラムが輸入されたと聞いています。

 初めは、現状に対する問題意識を抱えた大学人たちの意欲ある取り組みでした。ノートの取り方、レポートの書き方、時間割の組み方…。どれも目の前の学生たちが困っていることを把握して、そこから対策として練り上げた内容でした。授業を取材するたびに、そこに込められた熱い思いに感動したことを覚えています。

 いつからかそれが「横並び」で広がっていました。しかも判で押したような内容で、中でも「プレゼンテーションやディスカッション」が大人気。2018年度には631大学、全体の85%を占めるほどに広がっていました(文部科学省調査「大学における教育内容等の改革状況について」2018年度より)。

 横並びのきっかけとなったのは、中央教育審議会の答申でしょう。2012年にこんな答申を出しています。

 「従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業から、教員と学生が意思疎通を図りつつ、一緒になって切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら知的に成長する場を創り、学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていく能動的学修(アクティブ・ラーニング)への転換が必要である」(新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ)。この答申を受け、文科省がディスカッションやプレゼンテーションを盛り込んだ初年次教育の有無を尋ねているのですから、広がったのは当然なのかもしれません。

 

 そうした大学で学ぶ学生が独自のテーマを見つけるのは、そう簡単ではないでしょう。でも、希望はあります。「質問力を磨く」や「考える先生」に参加している学生がいるのですから。学生は成長したがっているのです。(マツミナ)

後半戦に入った「考える先生」プロジェクトの課題

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秋のキャンバス(イデちゃん)

 

 「考える先生」を育てるプロジェクトで、4月からT君の学校参観を引き受けていただいているS校長から次のような指摘をいただきました。

 「前半の学校観察では、自分自身の学校生活体験をもとにした気づきや問題意識が中心で、思考の深まりを感じさせるものにはなっていないと感じています。12月までの約10回の学校訪問も、これまでと同様に自由に観察する環境を提供するだけでよいのか少し心配になってきました。当初の計画の通り、中学校現場をフィールドとして提供するだけでよいのでしょうか。前期と同じことを続けていては、『考える先生』を育成するためのヒントはなかなか得られないのではないかと危惧しています」

 

 「前半の学校観察では、自分自身の学校生活体験をもとにした気づきや問題意識が中心で、思考の深まりを感じさせるものにはなっていない」のはなぜでしょうか。

 T君は参観校の生徒たちの様子を観察し自分の中学生の時と比較しています。気づきや問題意識は、当時とどこが違うかに止まり「なぜ違うのか」「なぜ変わったのか」というところまでは踏み込んで考えていないように思います。

 T君が参観するたびに書いているリフレクションシートには「僕の学校は制服だったので最初は慣れなかった」等の記述があります。T君は私服の生徒たちに違和感を覚えたようですが「なぜ制服ではないのか」考えた形跡はありません。制服の問題は日本の学校教育を考える上で欠かすことができない視点であるのですが、それについて自分で調べたり考えたりしてはいないようです。

 

 私は参観を開始するに当たり、S校長に「T君の質問にすぐ答えを教えないでほしい。その代わりに、なぜそういう疑問をもったのか尋ねてほしい。そして、二人のやりとりを繰り返すことを通して、T君自身に考えさせていただきたい」とお願いしました。

 ですから、T君が「なぜ制服ではないのか」とS校長に尋ねても、おそらく教えてはくれなかったでしょう。「考えてごらん」と言えばT君は考えたかもしれませんがS校長は「教えないでほしい」という私の無茶な注文を受け止めてくれました。

 S校長の「思考の深まりを感じない。このままでいいのか」という指摘は「考えさせるような働き掛けをする必要があるのではないか」という提案とも受け止められます。4月以来T君を見続けてきてくれたS校長の前期と同じことを続けていては、『考える先生』を育成するためのヒントはなかなか得られないのではないか」という危惧に応えるために対応策を考えなくてはなりません。

 

 課題を与え問題点を示して「考えなさい」と指示すれば、学生は考えるでしょう。でも、それではいつまでたっても「先生、卒論のテーマをください」という学生の状態です。「自分で課題を発見し、自分で答えを考える」学生をどうしたら育てることができるか。ミナさん、S校長、T君、そして関係する皆さんを交えて考えていきます。(イデちゃん)

一杯のワインから

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たまにはのんびり(マツミナ)

 

 なぜ学生はテーマを見つけられないか――。

 昨日の続きを書こうと、これまでに出された数々の中央教育審議会答申を読み直しているうちに、すっかりうんざりしてしまいました。気分を盛り上げるため、3億年ぶりにワインを飲んだら、今度はすっかり夢気分。明日以降に書くことにします。

 

 皆さま、ごきげんよう。(マツミナ)

 「卒論のテーマをください」

  

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疲れた時にはプリン(マツミナ)

 帝京・上智の両大学で開講している「質問力を磨く(ClassQ)」で、秋学期から「脳トレシート」を教材に導入しました。

 自分以外の誰かになりきって新聞を読む。ここまでは今までと同じで、その後の展開が異なるオリジナル教材です。山浦晴男先生の「ロジカル・ブレスト法」(「発想の整理学――AIに負けない思考法」ちくま新書)を参考に作りました。ロジカル・ブレスト法は、自分でテーマを設定し、そこから思考を広げていくところに特徴があります。

 これまでClass Qで使っていた「コンセプトマップ」は、記事からキーワードを拾い上げて書き込んでいけば何となく形になっていました。脳トレシートは、自分で思考の方向性を決めないと、何も始まりません。ここで、学生全員がはたと困り、口々にこう言いました。

 「テーマ設定ができない」

 その言葉を聞いているうちに、ふと、K大学教授から聞いた、学生との珍妙なやりとりを思い出しました。

 

学生「先生、卒論のテーマをください」

教授「卒論のテーマ? ここにはないよ」

学生「どこにあるんですか」

教授「あの山の、向こうかなあ…」

 

 教授は窓の外に目をやり、会話はここで終わったそうです。

 つい笑ってしまった私に向かって、教授はこう話してくれました。「笑い事じゃないんだよ。大学に学びに来て、自分の卒論のテーマも決められない。そんな学生を育てているんだよ、僕たちは」

 

 学生がテーマの設定に困るのはなぜか、いろいろな理由が考えられるでしょう。ただ確かなのは、テーマを自分で決めなくてもいい、誰かにテーマを決めてもらって学んできたということです。

 教授に話を聞いたのは、随分前のことです。その後、「主体的な学び」の重要性が指摘され、小学校から大学までの授業は変わったはずです。でも、学生が相変わらずテーマ設定に困っている現実は、何を意味するのでしょうか。(マツミナ)

 

  

通信制高校の見直し

 

 

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いつも誰かがお世話している道祖神(イデちゃん)

 

 「文部科学省は、不登校経験者の生徒が増えるなど状況が変化している通信制高校の制度を抜本的に見直す方針を決めた。対面授業の義務付けを想定しており、(9)28日に有識者会議の初会合を開いて議論を始めた。近年の不祥事続発を受け、国の監督強化も論点となる。学校教育法や省令を改正し、2023年の新制度移行を目指す。

 通信制に在籍する生徒は約22万人に上り、増加傾向に。半数が小中学校で不登校だったとの調査結果があり、自宅学習へのサポートが必要だとの意見が浮上。働きながら遠隔で学ぶという現行制度の前提が変化しており、文科省は、一定時間は校舎で対面授業を受ける方向で検討する」(2021929日付東京新聞夕刊)

 

 この記事からは、何を見直そうというのかはっきり読み取れません。通信制高校で学ぶ不登校経験者の生徒が増増加して、働きながら遠隔で学ぶという前提が変化したからですか。それとも実際に授業をしないでやったふりだけして補助金もらっている不埒な「業者」がいるからですか。

 「自習中心の教育についていけない生徒が増えている」から「一定時間は校舎で対面授業」を受けさせれば「学習習慣」は身につくのでしょうか。有識者の方々がほんとにそう考えているのでしょうか。「リモート授業は出席と認めない」とする文科省の意と同様に「一定時間は校舎で対面授業を受けなければ履修を認定しない」ということになるでしょうか。

 通信制高校定時制高校と同様に、働きながら学ぶ勤労青少年が高校教育を受けることができるようにという目的から発足しました。1960年代以降の高度経済成長期に地方から都会の企業に就職した多くの中学校卒業者が定時制高校や通信制高校で学び、高校卒業資格を取得することができました。勤労青少年の向学心を支える教育制度だったのです。  

 

 半世紀以上が過ぎ、通信制高校で学ぶ生徒が当時と変わってきていることは私も承知しています。働きながら遠隔で学ぶという現行制度の前提が曖昧になっていることも確かです。だからと言って「学校に来て対面で学ぶ」ということに力点を置いて学校教育法や省令を改正すれば事足りるとは思いません。学び方は多様でいいはずですし、国が決めることではないと思うからです。(イデちゃん)

「責任感」が学生を考えさせる

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栗の美味しい季節になりました(マツミナ)

 

 昨日は学生主催のマラソンQに参加してきました。「自分以外の誰かになりきって」新聞を読み、問いを立てるというふだんの授業の6時間版です。帝京大学の図書館も使って、たくさんの本を資料として活用しながら、延々と思考を深めていきます。

 ふだんは授業者。昨日は一参加者として学生と一緒にチームに入れてもらいました。その中で何が刺激となって学生は考えるようになるのか、知りたかったのです。

 

 その結果、考えさせる一つに「責任感」があることがわかりました。司会となった学生を見て気づきました。

 司会に課されるのは、6時間の構成、記事や担当者の配置の決定です。担当者の配置は、手伝ってくれる仲間を探して頼むというひと手間も発生します。司会の学生は「人とかかわるのが苦手」といつもこぼしています。それが、どうやら頭を下げて手伝ってもらったようです。見かねて周りが手を出したのかもしれませんが。

 記事選びからも、司会の学生が考えたことがわかりました。

 選んだ記事は「新車国内販売32%減 9月 部品不足で減産」(2021年10月2日付読売新聞朝刊)。経済面に掲載された2段扱い、小さな記事です。新車の販売台数が前年同月比32%減、31万8371台、3か月連続のマイナス。1968年に次いで、過去2番目に少ない販売台数でした。東南アジアで新型コロナウイルスの感染拡大でロックダウン(都市封鎖)が行われ、工場が稼働せず部品不足が深刻化。各メーカーが大幅に減産せざるを得なかったことが販売台数の少なさに表れたと書かれていました。これを経済産業省官僚になりきって考えるという設定にしてきました。

 

 司会の学生は、記事を決めるため朝5時に起きて、新聞を隅々まで読んで思考をめぐらせたそうです。日本の基幹産業の自動車の減産は何を意味しているのか、外国に工場を置くことの功罪、そうなると台湾頼りの半導体も問題だろうか、中国にも工場を置いている日本企業が多いから日中関係も考えなければ…。

 

 今回は約20人とこぢんまりとした規模でした。そのため時間にもゆとりのある設計になり、参加者も「楽しかった」「また参加したい」と満足感を口にしていました。

 終了後に学生からメールが来ました。

 「(他の学生にも)たくさん迷惑をかけました。でも司会者をしたからこそ見える景色や学びがありとても勉強になりました。朝早く起きて新聞記事を決めることや、立場を考える難しさを実感しました。でも楽しかったです。家に帰り、なにか喪失感がすごいです」

 

 仲間に迷惑をかけたことを自覚できた、喪失感を抱けるほどに熱中したということです。

 司会に指名したのは私ですから、追い込まれたに過ぎない、とも言えます。でも一歩ずつ。自分で手を挙げられるようになる日がくると信じています。(マツミナ)

  

 

屋根のなくなった学校

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富士山 台風の翌日朝 雲なし(イデちゃん)

 

  9月30日、10月1日の2日間は台風情報から目が離せませんでした。

 「大型で強い台風第16号は……」という前置きに続いてテレビ画面に映し出される伊豆諸島の状況を見ていると、知っている場所が次々と出てきて様子が気になります。八丈島の藍ケ江の様子が映りました。10数mを超える高さの波が防波堤を乗り越えています。以前勤めていた小学校の前の道をまっすぐ下りて行った断崖の下にある小さな漁港です。海が穏やかな時は名の通り透き通るような藍色をした入江で、夏は突堤の内側で泳ぐことができます。

 

 沖に面した高い防波堤を高波が猛々しく越えて来る様子を見ながら、30数年前の出来事を思い出しました。

 1991年9月のことです。大型の台風が接近し八丈島を直撃するという予報で、その日は学校を臨時休校とし、校舎の保全に備えて男性の教職員を招集していました。台風が近づき強い風が校庭の周辺に植えられたビロウ椰子やカナリー椰子を揺らします。背の高いカナリー椰子は頭に近い辺りが大きく曲げられて、今にも折れんばかりでした。

晴れていれば職員室の窓から太平洋が見渡せます。水平線に入道雲が連なり、海と空の境目を大きな貨物船がゆっくりと進んでいくのが見えます。その日は海面まで垂れ下がった台風の雲が強い雨風を持ち込んで薄暗く、外の様子もよくわからないほどでした。

 昼近くになって朝から続いていた雨風が止み、ヤシの木の揺れも止まって静かになりました。外が明るくなり雲間に空が見えました。職員の一人が「台風の眼に入った」と教えてくれました。

 「吹き返しがくると危ないな」

 島に住んで長い彼が心配そうに言いました。「吹き返し」というのは台風の眼から出る時、風向きが今までと逆になることで、急に強い風が吹くそうです。

 心配したことが起こりました。突然、猛烈な突風が校庭の小さな石砂を巻き上げて職員室の窓を襲いました。窓ガラスは一枚残らず割れて室内に飛び散り、風は天井を打ち破ってトタン屋根をめくりあげて吹き抜けていきました。一瞬の出来事でした。職員室の隣の図書室と5・6年生の教室を見に行くと、どの部屋の窓ガラスも吹き飛ばされていました。

 外に出て校舎を見上げると、青いペンキを塗ったトタン屋根は無惨にめくり上げられ、一部はちぎれて吹き飛ばされて屋根がなくなっていました。

 

 一夜明けた今朝は台風一過の秋晴れ。八丈島で製パン業を営む友人に安否尋ねると「徹夜でパン生地を仕込み、手伝いの人を何人も頼んで、朝の1時からパンを焼いている」と返信がありました。台風のために東京からの定期船が何日も接岸できず、島に数軒しかない食品スーパーの陳列棚が空っぽになってしまったとのことです。開店までに間に合わせようと夜を徹してパンを焼く友人に、遠くからエールを送りました。(イデちゃん)

 

仲間と課題に取り組む学生たち

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りんごの季節です(マツミナ)

 

 帝京大学の授業「質問力を磨く(Class Q)」で、秋学期から3人の学生に90分のうちの10分間を任せることにしました。3人は「課題チーム」と名乗っています。履修者がそれぞれ自宅で取り組んできた課題をお互いに見せ合う披露する時間を担当するチームで、本日はその2回目でした。

 課題は、社説を書き写す「社説の視写」、今学期から始めた「脳トレシート」の2種類。いくつかの班に分かれて、お互いに発表し、コメントをし合います。チームのメンバーはスライドを使いながら、この時間で何をしなければいけないのか、お互い披露することにどんな意味があるのかを懸命に説明していました。

 

 「わからないから投げ出すのではなく、わからないから取り組むんだよ」

 「わからないなりに、何が学べたか、言語化しよう」

 「仲間の取り組み方に、学び方のヒントがあるよ」

 「まずは自分の状況を見てもらおうよ。そこからだから」

 

 単なるおしゃべりの時間にしないために、短い時間をさらに細かく分けたり、初めて履修する学生と前からいる学生をバランスよく分けたりと、課題を続けようと思わせるための工夫を随所に盛り込んでいました。この10分間のために、どれほどの時間を費やしてきたことでしょうか。

 Class Qの課題は決して軽くありません。司会をしている学生たちも全員、課題には苦労してきました。手は疲れるし、時間はかかるし。バイトの休憩時間も使って取り組んだという話も聞いています。それでもやめることなく続いたのは、自分の現状への問題意識です。

 書いてきていない、読んできていないという状態のまま社会に出ていくわけにはいかないんだよ、自分たちは。ここで力をつけて行こうよ——

 学生たちは授業後に教室も取って、一緒に課題に取り組む時間も設けました。ひとりで課題に取り組めない学生も、仲間と一緒なら取り組めるようです。今日も10人以上の学生が、課題の用紙を持って、授業後も黙々と取り組んでいました。

 

 昨日、イデちゃんが書いていた「学校雇用シェアリンク」はどんなものになるのか、まだ見えません。企業に所属しながら教育現場に貢献できるという制度そのものの是非よりも、どんな人が担うのかによるだろうと考えています。目の前の子どもたちの課題を、一緒に考えてくれるでしょうか。解決するために力を注いでくれるでしょうか。それは今の免許制度の根幹にかかわるかもしれません。(マツミナ)

 

 

マッチングアプリで先生募集

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天高く 柿実る 秋(イデちゃん)

 

 「『採用試験のレベルを下げろ。教員採用倍率の低下が止まらない。文科省が公表した調査結果によれば、2019年度教員採用試験の倍率が全国平均で4.2倍、小学校では2.8倍にまで落ち込んだ。少人数学級の増加により教員の需要数は増える一方だ。このままでは教員の必要数が不足する。この際、採用試験を簡単にして誰でも教員になれるようにすべきだ』。こんな記事が新聞に載ったらどうしますか」(2021.6.1「採用試験のレベルを下げろ!?」)

 

 自分で書いておきながら、「こんなこと、あるわけない」と思っていたのですが、何やら怪しくなりましたね。福岡市が2022年から導入するという「公立小中学校などの教員採用で、筆記試験と面接を省く新たな採用方式」が「採用試験を簡単にして誰でも教員になれるようにする」ための呼び水にならなければいいのですが。

 

 一方、文科省は「民間企業に所属しながら、学校現場での勤務を経験する企業と学校等を繋げ、企業で働く社会人等が企業に所属しながら学校に参画する機会を創出する『学校雇用シェアリンク』を創設・運営する」(「令和の日本型学校教育」を担う教師の養成・採用・研修等の在り方について関係資料)ことを考えているようです。

コロナ禍で利用者が激減し仕事がなくなった航空会社の室内乗務員などを、外国語や接遇指導等の補助教員として学校に派遣したりしているのは、その先取りということなのでしょうか。 

 

 この「学校雇用シェアリンク」の運営は誰がどのように行うのか気になります。業者が請け負って「いつでも、誰でも、会社を辞めないで学校の先生になれます」などと呼びかけ、マッチングアプリを使って募集し、評価・判定はAIが行うなんてことになるかもしれません。

 

 「民間人などを対象とした茨城県教委の校長選考試験で、5人の採用枠に対し、国内外の1400人以上から応募が寄せられている。倍率は280倍超で、応募者数は昨年度の40倍以上。1020代からも応募があるという人気ぶりだ。転職サイトを通して幅広く周知、募集する新たな形が奏功した」(2021929茨城新聞

 

 こんな記事を読むと、その日が来るのも遠くないのではと思っています。(イデちゃん)

 

劣化のツケは誰が負うのか

 

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茶番の後は、スイーツで立て直し(マツミナ)

 

 自民党総裁選が終わり、下馬評通りの結果になりました。「モリ・カケ・サクラ」問題があろうが、安倍前首相が強かったということでしょうか。河野氏パワハラ疑惑が祟ったということでしょうか。菅首相が後継指名した候補者が落ちたということは何を意味するのでしょうか。自らが退いて推した候補が落ちたということは、石破さんの人気はこんなもの、ということでしょうか。さまざまな読み方ができる結果です。いずれにせよ、驚くべき結果ではありませんでした。

 

 これに対し、昨日イデちゃんが書いていた筆記試験も面接もなしでの教員採用は、驚くべきことです。ずいぶん前に報道されていたのですね。うっかり見逃しておりました。

 

 福岡市は公立小中学校などの教員採用で、筆記試験と面接を省く新たな採用方式を2022年から導入する。代わりに教育実習の評価と大学の推薦だけで採否を決める方式は全国でも異例。教員のなり手不足を背景に、適性のある学生を確保する狙いがあるが、専門家は学生を評価する基準のあり方を課題に挙げる」(2021年4月18日朝日新聞デジタル

 

 今の採用試験が「教員の質」を保証しているかどうかは、意見の分かれるところでしょう。ただ、教育実習の評価と大学の推薦だけで採用するかどうかを決めるとなったら、現状の「質」すら担保することは難しいかもしれません。

 そもそも、教員養成の現状に問題があると見たからこそ、今年3月、文部科学大臣中央教育審議会に教職課程の見直しを諮問したはずです。答申も出ないうち、つまり問題のある現行の教職課程で育った教員でいいとするわけですから、相当な危うさを覚悟して採用を決めるということです。

 報道によると、推薦は県内15大学に限定しているそうです。なぜ県内限定なのでしょうか。それとも、問題教員だった場合、出身大学に文句を言いに行けばいいやということでしょうか。

 もし、問題教員だったら、出身大学に文句をつけることが前提であるのなら、まだ救いようがあるように思います。製造物責任を問われるのは、大学にとってはいい学びの機会になります。教育を見直すことを迫られるからです。

 では、そんな教員を押し付けられる子どもたちにとって、いい学びの機会になるのでしょうか。心配なのはその点です。

 劣化のツケは、劣化させた当事者たちだけが負うわけではない。これは恐ろしい現実です。(マツミナ)

貧すれば鈍する

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ひまわりも 頭を垂れる 彼岸過ぎ(イデちゃん)

 

 お粗末なコロナ対応や「モリ・カケ・サクラ」の田舎芝居を見せられて「政治の劣化極まれり」と思った人も多いのでは。そういえば政治の劣化をもたらした要因は「国会議員の世襲化」と「小選挙区制」にあるという指摘をどこかで読んだ記憶があります。親の選挙地盤を引き継ぐことによって安定した支持を得られることや小選挙区制によって現職の公認が優先されることなどから、地盤や看板を持たない新人が国会議員になることが難しくなり、有為な人材を得られなくなっているというのです。世襲が繰り返されることによって「政治家の劣化」がもたらされ、とどのつまりは「政治の劣化」につながっているということでしょうか。

 加えて、対抗勢力としての力を持たない野党や「忖度」に明け暮れる高級官僚たちも政治の劣化に大いに貢献していると言えるでしょう。そういう状況に「ノー」と言わない私たち有権者だって責任がないわけではありません。一億総劣化社会です。

 おっと、調子に乗ってこれ以上しゃべると「評論家面して何を言っているのか」と叱られそうですから「見て来たような政治講釈」はこれで止めにします。

 

 それより、もっと気になるのは「先生の劣化」です。

 2021年度から25年度までに順次進められる小学校の35人学級導入により、今後5年間で約13,500人の教職員定数増が必要と試算されています。また、22年度から教科担任制の本格導入も加わることで、必要な教員数はさらに膨らむことが予想されます。

 一方で、教員志望者の減少に歯止めが掛からず、一部の自治体では年度当初に必要な教員数を確保することができないために学級編成に支障が出るなど、教員不足の問題は深刻化しています。必要数が増えることがわかっていながら、志望者数が減少するという二重の足枷をはめられ、お先真っ暗な状態です。

 

 各自治体の教育委員会では受験者を増やすために、受験年齢制限の緩和や特別免許状の活用等、様々な方法を考えて来ましたが、増加に繋がるほどの効果はないようです。この切羽詰まった事態を前に、ある自治体では来年度からの採用選考に筆記試験と面接を課さず、教育実習の評価と大学の推薦だけで採否を決める特別選考の導入を決めたそうです。

 

 これは結構恐ろしい話です。筆記試験も面接もせず、教育実習の評価と大学の推薦で判断するということは、合否の判断を採用する側の評価ではなく、送り手(大学)の評価に委ねるこということです。

 いくら教員採用が売り手市場とはいえ、採用する側が責任を持って選ばないようなことになったら、先生の劣化がますます進むばかりです。「貧すれば鈍する」と言いますが「つけ」を子供たちに回すようなことをしてはいけません。(イデちゃん)

劣化社会

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すまし顔の翡翠(マツミナ)


 2回目のワクチン接種を受けたら40度の熱が出て、2日間寝込みました。布団の中でうつらうつらと、コロナで自宅療養している人々のことを思い浮かべていました。熱が出るだけでもこんなに苦しいのに、ましてや誰も助けに来てもらえないなんて。どれほど不安だろうか、怖いだろうか。税金やら社会保険料やらを取られてそんな仕打ちを受けたら、私なら怒り狂います。ひどすぎます。

 確か総裁選で、コロナ患者を自宅療養させている状態を非難している候補者がいたけれど、そもそも自民党内で本当に反対してくれたのでしょうか。

 そういえば、引退する衆議院議員塩崎恭久氏がこんなことを書いていました。〈政府が打ち出した『原則自宅療養』という方針に対して党内で『撤回しろ』と言ったのは私だけだった。政治の劣化が極まっている〉(『選択』2021年9月号、「政治家の無能が招いた『コロナ国難』より)

 布団の中で散々に毒づいているうちに、熱も引きました。

 

 イデちゃん、連続投球してくれてありがとうございました。昇進試験のために勉強していた父親の姿に「サラーマンでも社会について興味を持たなければならないと感じた。(略)私はもっと社会を知る必要があると考えた」という学生のコメント(924日「親父の背中」)に引っかかってくれて嬉しいです。私もひっかかっていました。でも「またか」という程度のひっかかり方です。社会が「学び」に大きな価値を認めていないことを、学生は感じ取っているからです。企業人、それもトップ層が「学生時代は大いに遊んだものだ」と公言しています。そういう人がトップだから、就活でも「SPI」の点数は見ても、大学での成績評価なんてどうでもいいのかもしれません。働きながら大学院などに通って学ぶ人をきちんと処遇する企業が少ないことも、どこかで聞いているかもしれません。

 

 実は、この学生と父とのやりとりは、授業で披露してもらいました。授業が始まる前にこの話を学生から聞き、すぐに他の学生に共有してもらおうと考えたのです。「サラリーマンは気楽な稼業」ではないことに気づいてもらうために。

 学びを軽視する企業、そしてそれを許す社会全体はどうなっていくのでしょうか。「劣化が極まっている」のは、政治の問題だけではないと懸念しています。(マツミナ)

「サラリーマンは気楽な稼業」だと思いますか

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空き家の庭に秋の陽が眩しい(イデちゃん)

 

 924日の「親父の背中」(ミナさん)を読んで、父親と子のやりとりの場面を思い浮かべました。「新聞を読むのは、大事なんだよ。お前も新聞を読む授業を大学でとっていたからわかるだろう」と子に新聞を読むことの大切さを説き、「欠かさず新聞を読み、時代感覚を培おうと机に向かっている」父の姿を見て、学生も思うところがたくさんあったようですね。親の話を「うざったい」と思う若者が多いと聞くことがありますが、こういう親子の関係っていいなあと思いました。

 

 そう思いつつ、彼に聞いてみたいことが一つあるのです。意地悪な気持ちで聞くわけではありません。ちょっと気になったものですからご容赦を。

「サラーマンでも社会について興味を持たなければならないと感じた。(略)私はもっと社会を知る必要があると考えた」ということですが、「サラリーマンでも」という部分が妙に引っかかったのです。もしかして「サラリーマンは社会のことについて興味を持たなくていい」と思っていたのでしょうか。まさかとは思いますが、読みようによってはそう受け取ることもできます。

 

 60年ほど昔、日本が高度経済成長の波に乗って景気がよくなって来た頃のことです。植木等と言うコメディアンが歌う「ドント節」という曲が流行りました。青島幸男の作詞で「サラリーマンは気楽な稼業と来たもんだ」というイントロから始まります。そして、二日酔いでも寝ぼけていてもなんとか勤まってしまうとか、課長や部長にはなれなくても定年なんてずっと先の話だからドント行こうぜと歌っています。植木等のずっこけた歌い方が受け、レコードも大いに売れたようでした。

 

 ところで、植木等の歌を聞いてサラリーマンは気楽な稼業だと思った人はどれほどいたでしょうか。それは景気の良い歌詞の裏にある青島幸男一流のアイロニーが受けたのであって、本当にそうだと思った人は多くないでしょう。

よく「サラリーマン的」という冠言葉をつけて、働き方や仕事ぶりを揶揄したりすることがありますが失礼千万な話です。言うまでもないことですが「サラリーマンは気楽な稼業」などではありません。お父さんの話からもよくわかると思います。 

 

 どんな職業についても社会との関係を切り離す事はできません。なぜなら「働く」ということは「社会に関わる」ということだからです。私が「サラリーマンでも」という部分に拘った理由をお分かりいただけたでしょうか。

 新聞はもちろん、様々な分野の本もたくさん読んで、もっともっと社会を知り、考える青年になって下さい。期待しています。(イデちゃん)

齢に従わない

 

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甥の作品展に行ってきました行ってきました(イデちゃん)

 

 今日から後期高齢者の仲間入りです。何かにつけて話題になる「団塊の世代」は1947年から1949年に生まれた世代を指していますが、私のような1946年生まれの年代は「団塊の世代の走り」とでもいったらいいのかもしれません。小学校では自分たちのすぐ上の学年は人数が少なく、下の学年から急に多くなりました。大学入試の時「現役で合格しないと次の年は受験者が増えて大変だよ」言われながら果たせず、一浪の末に大人数の後輩たちと競う羽目になりました。 

 

 以来、ずっと「団塊の世代」に付き合って来ましたが、その世代がいよいよ後期高齢者に差し掛かって来たわけです。団塊の世代の本隊が後期高齢者になる2025年ごろには年金や保健等に関わる現役世代の負担が一層大きくなることが予想され、深刻な課題となっていることはご承知の通りです。

 

 先日、若い友人と話していて深沢七郎の「楢山節考」に話題が及びました。人の命が大切なことは言うまでもないけれど、大切にし過ぎるってことはないのだろうか。そんなに大切にしてくれなくてもいいよ、なんて言える人はいるのだろうか等、聞きようによっては不遜で不見識な話ですが、命の軽重とか延命治療の是非とかといった難しい話ではなく「もう十分生きたから、これ以上は遠慮しとくよ」っていうのはありですかねえ、といった他愛もないやりとりから「楢山節考」の話になったのです。

楢山節考」は、70歳になると楢山へ捨て置かれるという村の掟を悄然と迎えようとしている老婆と、その息子の心の葛藤を描いた小説です。「大切にし過ぎるってことはありなのでしょうか」という若者の問いに答えを持たなかった私は、代わりにこの小説を読むことを勧めたのですが、それは「あり」だったでしょうか。

 

 今日から後期高齢者という立場を特に意識して生活する気はありませんが、運転免許の更新や健康保険制度のように社会制度や世の中の仕組みのが、「齢」に従って生きるようにと迫ってくるようで、余りいい気分ではありません。

もっとも、大量の老人の面倒を見なければならない若い世代の方がもっといい気分ではないかもしれませんが。(イデちゃん)

オヤジの背中

 

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嬉しい時にはスイーツ(マツミナ)

 

 今日は嬉しい話です。春学期の「質問力を磨く(Class Q)」を履修していた学生が、秋学期の授業に戻ってきました。「この授業、厳しすぎる」「もう絶対履修しない」とさんざん毒づいていた学生だったのです。

 目が合うと、ちょっと照れたような表情で、聞きもしないのに、履修を決めた事情を話してくれました。勤務先の昇進試験に苦戦していた父親の姿が背中を押したのだそうです。

 父親はこの夏、昇進試験に臨んでいました。試験は、営業職の使命とは何か、現在のような社会で、何を誰にどう売るべきなのか、それによって企業と社会にどのように貢献するか…など、時代認識や会社との関係など仕事の根幹に関わるような内容を論じることだったといいます。

 その結果、父親はかなり厳しく上司に叱責されたのだそうです。「君は新聞を読んでいるのか、なぜこのような時代認識なのか」……。

 上司に叱責されたとしても、学生の父は立派です。それを家庭で、ひょっとしたら食卓で家族に話していたのですから。必死に努力した、けれども力を発揮しきれず、上司にお小言を食う結果になっている。それを包み隠さず家族に話し、さらにこうも言ったそうです。

 「新聞を読むのは、大事なんだよ。お前も新聞を読む授業を大学でとっていたからわかるだろう」

 お父さん、よくぞ新聞を読むことの大切さを伝えてくれました。そのほかにも書く力の重要性にも言及していたそうです。

 本日(9月24日付)の日経新聞に、求人情報の変化が報じられていました。不況期には労働者に求められるスキルが高度化するということです。ポストコロナ期で働くには、今よりも学び続ける姿勢が求められることでしょう。

 

 以来、父は欠かさず新聞を読み、時代感覚を培おうと机に向かっていると学生は話していました。その背中は、学生にたくさんのメッセージを伝えています。学生のリフレクションシートには、こう綴られていました。

 「サラーマンでも社会について興味を持たなければならないと感じた。(略)私はもっと社会を知る必要があると考えた。そのため履修することを決めた。秋学期もよろしくお願いします」

 こちらこそ、よろしく。今度、お父さんも一緒に、授業に来てください。大歓迎です。

(マツミナ)