先生の役割
11月7日の「超耐久思考マラソン Q」@帝京大学八王子キャンパスは実に楽しい6時間でした。以前、オンラインで行われたクラスQに参加したことがありますが、「生授業」は初めて。
現役の学生と一緒に、半世紀前に学生だった私も「質問づくり」に取り組みました。久しぶりに「考える」ことに挑戦し、4月以来「サンデー毎日」の生活に浸り切り、シワの少なくなった脳味噌が心地よく疲れました。ミナさん、参加者の皆さん、サンキュー。
当日の様子はミナさんが続報で伝えてくれるでしょうから、私はその日、ミナ先生の動きを見ながら考えていたことについて書きます。それは「屋根のない学校」での「先生の役割」についてです。
10月、オンライン授業の在り方について、萩生田文部科学大臣がこんなふうに語っていました。
「学校教育では対面、集団での学びや、リアルな体験を通じて、思考力や判断力、人間性を育てる必要がある。一人一人に適切な指導をするためには児童・生徒のそばに教師がいる必要があり、教師がいない指導が対面授業に代替できるとは現段階で考えていない」
オンライン授業を行う際には、原則として児童や生徒のそばに教員が同席することが必要だという考えを示したのです。その一方で萩生田大臣はこうも述べています。
「全国一斉に同じテーマをオンラインで学べるようになれば、必ずしも先生がいなくても、いい授業ができるかもしれない。絶対に駄目だとか、絶対必要だとか決める段階ではない」
前半の話で想定される場面は、「同じ時間」に「教室」に集まって、「一斉」に行う授業です。端末機器から提供される学習教材の内応やレベルは、学習者の理解度や到達度等に応じて「個別最適化」された、一人一人違うものであるかもしれません。いずれにしても、教室に集まって、オンライン端末の画面を見ながら学習している児童・生徒の側にいて、先生は「一人一人に適切な指導をするのために」何をするのかなあ。