idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

「三歩進んで二歩下がる」より「一歩後退二歩前進」を

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雪が降る音が聞こえる(撮影イデちゃん)

 

  水前寺清子か、懐かしいなあ。「さーんぽすすんでにほさがる。じーんせいはワンツーパンチ

日本が経済大国にのし上がり、自信に満ちた昭和の時代を象徴するような歌ですね。そこで、コロナ禍で「ステイホーム」を強いられ、「今は我慢の時です」と諭される令和の時代に相応しいのはどんな言葉がいいかなと考えました。「一歩後退二歩前進」というのはいかがですか。

「三歩進んで二歩下がる」を数式で表すと  +3-2=1、「一歩後退二歩前進」は -1+2=1  どちらも答えは1になりますが、3-2は「3歩前に進み、ちょっと下がって一休み」、これに対して-1+2は「ここはひとまず退くけれど、力を蓄えて再び前進」といった感じですかね。

 今、私たち(とりわけ為政者)に求められるのは「一歩後退二歩前進」の勇気と決断ではないでしょうか。With Corona で一歩後退してもPost Coronaで二歩前進すればいいじゃないですか。

 

 さて、「Class Qで入学前教育」大賛成です。「考える」という、学ぶ上で最も基本的なことを身につけないまま大学にくる学生が増えているとは由々しき問題です。いつぞや予備校の講師が、難関と言われる大学の入試問題を解説しながら「数学だって、英語だって解法のセオリーがあって、それを覚えて適用すれば大概の問題は解ける。要はどれを使うか見つけることだ」と話していたことを思い出しました。ミナさんが嘆いた「何科に進んだらいいのかわからない」と悩む国立大学の医学部5年生は、自分の進路選択に難関大学入試問題解法を適用したのでしょう。「理数系の成績がいい」から「医学部に」というセオリーに従ったのです。進路選択としては正解です。ただそこに「自分」という条件が入っていなかったので、「自分は何をしたいのか」という問題に向き合った時、適用するセオリーが見つからず困ってしまったのでしょう。

 

 現行学習指導要領を改定するときに重視したのは「多様な文脈が複雑に入り交じった環境の中でも、場面や状況を理解して自ら目的を設定し、その目的に応じて必要な情報を見いだし、情報を基に深く理解して自分の考えをまとめたり、相手にふさわしい表現を工夫したり、答えのない課題に対して、多様な他者と協働しながら目的に応じた納得解を見いだしたりすることができる」力です。

 先行き不透明で解なき時代の到来に、日本は「知識の記憶と再生の正確さ」を評価する教育から、「答えのない課題」に対して目的に応じた納得解を求める力を育てる教育へと転換することを迫られました。

 「教える」「教わる」ことに馴染んだ教員と生徒に、「教えない」「考えよ」「自ら目的を設定せよ」「正解は一つではない」ことを納得させるのは容易ではありません。自分で考えることを避けてきたツケは結構大きいものがあります。以前、新任教員の研修で「我思う、故に我あり」と言った哲学者を知っているかと尋ねたら100人余の聴講者の中で知っていたのはたった3人でした。

 「考える力」を育てなくてはなりません。これは大学生だけの問題ではありません。高校の先生も小中学校の先生も考える力も鍛えることです。もちろん大学の先生もね。Class Qで鍛えましょう。(イデちゃん)