idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

考える道具を鍛える

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虎刈りにされたヤマボウシ(イデちゃん)



散歩の途中、庭木の剪定をしている植木職人の仕事ぶりを眺めていたら、若い親方に「よく見かけますね、興味ありますか」と声をかけられました。「ヤマボウシの枝下ろしをしようと思って」と言うと、「コツは思い切って詰めること。そんなに難しくないからやってみたら」と言われてその気になりました。

我が家の山法師は植えてから20年近く経ち、高さは2階の屋根に迫ろうとしています。梯子に上って枝に鋸を当てたものの、やり直しがきかないと思うと迷います。勇気を出してやっと切り落とした最初の一本は何箇所もの「ためらい傷」がついていました。

あの枝と狙いを定めて梯子を上り、また下りて見直すを繰り返し、悪戦苦闘の末、何とか格好をつけました。終わって見上げれば、満身創痍のヤマボウシが真っ青な冬空を背に寒そうに立っていました。

よく行く理髪店のマスターに「虎刈りを直すのは難しい」と聞いたことがあります。一番短い部分に揃えて刈り直さないと毛の丈が揃わないからだそうです。虎刈りにしたヤマボウシはもう一度切り直したら見栄えが良くなるだろうか。残念ながら私にはやり直す勇気も技術もありません。

 

 言葉は人間が作り上げた最高の道具ですね。人間は言葉を使って考えることができます。そして文字にした言葉を使って経験を蓄積し、大きな「知の塊」を作りました。やがて知の塊が大きくなりすぎて分かりにくくなったので、自然科学とか人文科学とか、理数系とか言語系とかといったカテゴリーに区分けして体系化し、教え易く、学び易くしていったのでしょうね。学校では国語、算数、理科、社会等の教科に分け、学年の進行に従って複雑・高度な内容になるように配列した教科書を使って学習します。

3年ほど前、日本の子供の大半が教科書を読めていない(『AI vs. 教科書が読めない子どもたち新井紀子)というショッキングな指摘に驚きが広がりました。「全教科の内容を正確に読めているのはクラスの2、3人くらいでは」というのです。教育現場では、前から問題になっていました。算数の計算問題は解けるのに、文章題になるとわからなくなる子供がよくいますが、それは解けないのではなく、文章を読んで正確に意味や内容を理解する力が弱いからだと指摘されていたのです。

 ミナさんの前にいる学生が「小学校から大学まで、どれほど早くゴールにたどり着けるかを極めるように生きてきた」結果、文章を理解し言葉を使って考えることが困難になってしまったとすれば「自分の行動や思考を切り分けて、言語にするのこと」が難しいのは当然です。それでも「今一度、白紙に戻して考える勇気を持ちたい」と結んだ学生を頼もしく思いました。

 がんばれ、まだ間に合う。やり直す勇気をなくしたおじさんも頑張る。(イデちゃん)