idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

やりとりの復活  

  スティーブン・スピルバーグ監督の名作「E.T.」。異星人のE.T.と地球の子供たちが交流する感動ストーリーです。E.T.と少年エリオットが指を合わせるポスターを覚えていますか。指をくっつけると、別々の星で生まれた者同士の心が通い合い、深い絆が生まれるイメージを表現した素敵なポスターでした。

 言葉がなくても意思を通じ合うことができれば、書いたり話したりする必要はありません。人類が進化してそんな能力を身につけたら言葉はいらなくなるでしょうね。

 

 年賀の挨拶にメールが使われ始めた頃「あけおめ、ことよろ」ってのが流行ったことがありましたね。LINE上を駆け巡る若者言葉はどんどん進化(?)して、おじさんにはわからないものばかりです。「おはあり、おつあり、おかあり、おやあり」が、それぞれ「おはよう」「お疲れ様」「おかえり」「おやすみ」+ありがとうの略だそうです。アルファベットを使ったものではtkmk」なんていうのもあります。「ときめき(tokimeki)」から子音を抜き出してつなげたものです。私が若かった頃はMMK」ってのがありました。

 

 LINE上に飛び交う絵文字や略語のような記号も言葉の一種と言えるでしょう。そもそも文字は記号ですから。言葉を連ねて文章にするのも、記号を組み合わせて文章(と言えるか?)を作るのも、相手に意味や意図を伝えることができさえすれば、どちらでもいいことかもしれません。

 

 人類は進化する。科学も進化する。いずれ言葉を介さずに意思の疎通ができるようになるかもしれない。そうなればいちいち話したり書いたりしなくてもよくなる。だから大切なことはもっと他にあると大人が考えているとしたら「大人がなにを重視しているか、子どもたちは敏感に察知する。何かが大事でないことを見抜いてしまえば、子どもたちが努力しようとする見込みはない」のは当然です。

 最近の実学優先、科学教育偏重、人文軽視が横行する世相を見ていると、「大人が何を重視」しているか見えるような気になりませんか。でも、E.T.とエリオットが指と指を合わせただけで心を通い合わせる事ができたのは、人類の能力ではなく、あちらの世界から来たE.T.の力ですからね。

 

 今の若者は「おしゃべり」はするけど、意見の違いや対立、摩擦や緊張を嫌い「対話」ができない。対話(言葉のやりとり)を通して相手の気持ちを考えたり、自分の考えを修正したりすることが下手だと言われます。人は言葉を介して考えるといますが、頭の中を「見える化」する手段は文字だけではありません。一番手っ取り早いのは「対話」です。

 Class Qが目指すのは「やりとり」の復活。新聞の記事との「やりとり」、グループの仲間との「やりとり」、発表を聞いてくれる参加者との「やりとり」を通して自分の考えを整理し、形(文章)にまとめていくことです。話さないからわからない、わからないから話さない。わからないから考えない、考えないから書くことがない。書けないから「自分の頭の中」が見えない。ややこしいからもうやめます。

 今年のテーマは「やりとりの復活!」なんちゃって。(MMKのイデちゃん)