idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

「格別大事に」されている学生

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今川家ゆかりの観泉寺(東京・杉並区、マツミナ撮影)

 

 今川義元の「むごい教育」には、大いに考えさせられました。

 「朝から晩までうまいものを食わせ、冬は暖かくし、夏は涼しくなるように、格別大事にすることだ」。これなら、たいていのヤツは骨抜きにされますね。

 学生の論文を読んでいると、ひょっとしたら「うまいもの」はスマホやパソコンで、「格別大事に」してくれるものはSNSではなかろうかと思い至ったのです。 

 

 学生の論文の共通点は、言葉に対する愛着のなさです。例えば、学生が出してきた論文「職種の研究」でこんな記述がありました。

 〈営業職に必要な要素をインターネットで検索すると「細かいことに気づく配慮」が挙げられていた。この資質は技術職としてプログラミングを設計する際にも必要とされる。…略…ニーズに応えられるために必要なこのスキルは、技術職と営業職で共通している〉(下線はマツミナ)。

 下線部の「要素」「資質」「スキル」は「同じ意味」として書かれているようです。おそらく「同じ言葉の繰り返しは避けたい」と考えたのでしょう。それは評価してもいいけれど、インターネットで検索した程度であることを臆面もなく論文に書いて、しかも意味もろくに調べずに書く感覚に驚きました。学生本人に確認したら、この予想が当たっていたので、がっかりです。

 言葉を雑に扱う理由の一つは、スマホなどで言葉を打つことが習い性になっているからと見ています。スマホは、思いついた言葉をサッと出してくれます。しかも使い手の傾向を読み取って、「予測変換」までしてくれます。

 そんな雑に扱われた言葉でも、LINEやインスタなどに載せると、なぜだか「いいね!」という好反応をもらえます。承認されるのが当たり前になったら、ますます言葉を磨かなくなるのではないでしょうか。つまり頭を使わなくなっているのです。

 ところが、手で書く時は違います。頭の中をかき回し、言葉や文字を引きずり出さなければならない。何度も書き直さなければいけないし、順序を入れ替えたりするのは一苦労です。時間がかかる作業です。だからこそ「ClassQ」では、学生に手書きを課しています。機器ではなく、自分の頭を使ってほしいからです。自分の目で文字を見て、手が真っ黒になるほど書いて消して、音読して首をひねるという全身運動で、言葉と格闘してほしかったのです。

 ところが、学生にしてやられました。下書きをパソコンで打って、原稿用紙に写していたのです。「格別大事に」してくれるものの力は格別強い、ということなのでしょうか。(マツミナ)