idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

考える先生を育てよう

 

 

 

 

 

            

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春はまだかな。落ち葉の下から水仙が顔を出した。(撮影・イデちゃん)

 「日本型学校教育」の海外展開を中古車の輸出に例えたら、目ざとく見つけた友人から早速メールが来ました。「エジプトでは、学級会や掃除、日直などの特別活動を中心とした日本型教育を採用する小学校が増えている。サウジアラビアでは小中学校や高校に、日本の道徳教育をモデルにしたモラルエジュケーションが導入されている」と教えてくれました。

 10年ほど前、モンゴル国の教育関係者が、特別活動や学校給食を自国の教育に導入するために、東京23区内の小学校を参観に来たことがあって、特別活動“Tokkatsu”が注目されていることは承知していました。

教員が教科指導、生徒指導、部活動指導等を一体的に担う「日本型学校教育」のよさと、教員の勤務実態をはじめとしたさまざまな課題は表裏一体です。現状のままの指導体制でこれまでと同様の効果を上げていくことがどう考えても困難な「日本型学校教育」をそのまま輸出したのでは、いずれはその国々も今の日本と同じ状況に遭遇することになるのではないでしょうか。老人の杞憂であればいいのですが。

 

 ところで、前に今川義元の「むごい教育」について書きましたね。杉並区立済美教育センター主任研究員がこんな指摘をしていますので紹介します。

 

 「杉並のように学校の裁量を拡大してさまざまな教育資源を拡充する方向で施策展開をしていくと、典型的にぶつかる壁があります。

『一斉一律に管理・監督されるから考えなくなる』という状態から、『個別具体に支援してもらえるから考えなくなる』という状態への移行です。行政依存による思考停止の新たな形態とも言えるこのことは<支援>を施策や事業として具体化するに当たっても、(略)避けて通れない問題です。このことを理解するための補助線として、水泳指導を例にしたいと思います。

『区として中止の基準を一律に決めてほしい』」

教育委員会が決めてくれなければ学校は動けない』」

(山口裕也「教育は変えられる」講談社現代新書 2021年)

 

 義元の「むごい教育」は現代にも生きていました。私は校長先生たちに「むごい教育」をしてしまったようです。「ICT活用指導力を養成することや,学習履歴(スタディ・ログ)の利活用などの教師のデータリテラシーの向上に向けた教育などの充実を図っていく」ためのベースには「考える力」が不可欠です。「考える学生」「考える先生」「考える校長」を育てましょう。 GIGAスクールの時代に「お払い箱」になるのは「考えないセンセイ」ですから。