「わいせつ教員」は考えていたか
今朝、読売新聞朝刊を見て、仰天しました。
〈児童買春の疑い 小学校教諭逮捕 警視庁〉
逮捕された教員は、私がよく知っている小学校に勤めています。年明け早々、関係者から「新型コロナウイルスに感染した教員」と聞いていたために、その名をよく覚えていました。
記事を読んでさらに驚きました。
〈昨年9月、新宿区歌舞伎町のインターネットカフェで、SNSで知り合った女子中学生(14)が18歳未満と知りながら、現金2万円を渡してわいせつ行為をした疑い。容疑を否認しているという〉(1月30日付読売新聞朝刊14版より)
この教員は、あるクラスの担任です。昨年9月からコロナ感染などで休んだ以外は、子どもたちの前で「先生」として立っています。国語や算数はもちろん、道徳も教えてきたでしょう。
私は「道徳オタク」を自称しているので、すかさず学習指導要領を確認しました。たとえば小学校3、4年で学ぶ道徳の内容項目を見ると、最初は「正しいと判断したことは、自信をもって行うこと」(善悪の判断、自立、自由と責任)、次に「過ちは素直に改め、正直に明るい心で生活すること」(正直、誠実)……。
クラスの子どもたちはこのニュースをどう受け止めたのでしょうか。読んでいるうちに悔しくなり、学習指導要領を閉じました。
これからいろいろな事実が判明することでしょう。その中では、教員採用や教職課程のあり方も改めて問題にしてほしいものです。
でも何より知りたいのは、この教員の思考回路です。彼は考えたでしょうか。先生は、子どもたちにどう見られているか。自分の行為で子どもたちは傷つかないだろうか――自分を客観視し、これからの行いを考えていたでしょうか。
「考える先生」を育てる仕組みをつくりましょう。このブログの初回でうたった「屋根のない学校」で。学校だの、大学・学部だの、自治体だの、という既成の壁をぶち破った大空の下で。(マツミナ)