idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

デジタル教科書は想像力を養うか

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何かが始まりそうな朝の空(撮影・マツミナ)

 1月に逮捕されたわいせつ教員は想像力に欠けていた、というイデちゃんの言葉に同意します。となると、想像力欠如はこの教員固有の問題か、教員養成・採用システムの問題か、それ以前の問題かも考えないといけませんね。

 想像力を損なうかもしれないという点では、デジタル教科書もイヤな感じがします。1月27日に文部科学省が公表したデジタル教科書の本格導入に関する中間まとめ案を読んで、さらにその思いを強くしました。中間まとめ案には、紙の教科書とデジタル教科書について、「全てデジタル」「併用」「デジタルが主で、補助的に紙」などの5案が書かれていました。

 行政文書にありがちな「海外の先行例」として、なぜか韓国を挙げていました。苛烈な受験戦争で知られ、学ぶことを楽しむどころではない国です。留学生からも苦しい体験談をずいぶん聞いています。そこでどんな教育が行われているか、子どもにどんな影響を与えているか、どんな成果があるかも書かないで「初等学校の80.4%、中学校の69.8%においてデジタル教科書が使用されている」ですか。だから、なんだというのでしょうか。これを書いた人の想像力を疑います。

 IT化の遅れを一気に取り戻したい。その一方策として、デジタル教科書を使わせたいようです。で、その結果、どんな人が育つでしょうか。

 私が授業「質問力を磨く(ClassQ)」で使うのは、紙の新聞です。学生にはデジタルではダメ、と伝えています。その理由の一つは、紙の新聞の方が想像をかきたててくれることです。

 紙幅には限りがあるから、字数が制限されます。新聞記者時代によく言われたのは「100取材して99捨てる」。記事にはたった「1」のエキスしか書けないのです。写真の枚数も限られています。捨てられた「99」と掲載されなかった写真は、読み手が自分の想像力をフルに使い、他の情報を組み合わせて補うしかないのです。

 情報は自分でつかんでこそ、自分のものになります。不便や不足が工夫を生み、力をつけてくれます。画面をタッチした情報で動くのは、目だけ。1から10まで説明されたら、頭の中は動きません。

 

 と、ここまで書いて、晩ご飯の買い物に出かけました。そして、スーパーのレジで、「またやった」と舌打ちをする羽目に陥りました。財布がない。確か、昨日の夕方、いつも背負っているリュックからエコバッグに財布を移し替えたっけ。リュックに戻さないと忘れるかもなあと、昨日の私は想像したか。もう~他人さまの想像力を批判する資格はないよ、私に。

 困った表情の店員さんを前に、私はどうしたでしょうか。皆様の豊かな想像力にお任せします。(マツミナ)