idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

言葉で考える

 

 

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青空に向かって吊り上げる(撮影・イデちゃん)

 昨年秋から我が家の周りは新築ラッシュです。最近は工場で加工した部材を現地で組み立てる方法が多くなり、棟上げの時は資材を積んだトラックが何台も道路に並びます。工事現場は一方通行の道路に接続する袋小路の先にあるため、工事の行程を管理する現場監督はトラックやクレーン車の配置に神経を使います。近くの広い道路にトラックを待機させ、順番に呼び込むのですが、手順を間違うと進入する車と退出する車が狭い道路でお見合いになり、動きが取れなくなってしまいます。昔人気のあったゲームソフト「涙の倉庫番」のリアル版です。

 仕切っていたのは若い女性の監督でした。先に大きなクレーン車を配置した後、手にしたタブレットを操作してトラックを順序よく呼び込んで、滞りなく棟上げを終えました。聞けば、事前に周辺道路の状況を読み込み、組み立ての順番をシミュレーションしたそうです。朝夕、私のスカイラインが車庫を出入りする時間も知っていました。終日作業を眺めていた暇な先住民は、彼女に「ご迷惑をおかけしました」と挨拶され、思わず「『涙の倉庫番』ってゲーム知っていますか」って聞いたら、怪訝な顔をされました。

 

 デジタル教科書は想像力を損なうかもしれないという危惧は当たっているでしょう。これまでの文字や写真やイラスト等で構成された教科書(仮にアナログ教科書とします)とデジタル教科書では提供される情報量は比べ物にならないほど違います。音や動きも一体的に提示でき、まさに至れり尽くせりで、今川義元も大喜びの代物です。

 文字だけで表現された情報を理解するために、読み手は五感を駆使して文字情報を映像に再構成する必要があります。経験のないことを理解することは大変難しい作業ですね。知っていることを手がかりに調べたり考えたり、あれやこれやの想像を回らして、なんとか具体的な形あるものに構成していくわけですから。ですから、初めから映像で提供されたら再構成の手間が省け、その分、短時間に大量の情報を得ることができるわけです。が、情報の再構成という知的な作業を省略するとミナさんの危惧することになるでしょうね。

 とはいえアナログ教科書に固執しても、世の中のあらゆる場面でデジタル化が進められる中では蟷螂の何とかかもしれません。そこで私は「情報は自分でつかんでこそ、自分のものになります」というミナさんの警句を「どんな形で情報を得ようと、それを一度自分の脳みその中に落とし込み、自分の言葉で再構成しなければ自分のものにならない」と理解しました。

 そのためには小さい時から読むこと、書くことを大切にし、言葉を通して考え表現する力を育てることです。生きた知の源泉はアナログの世界にあるのですから。(イデちゃん)