idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

「読む」の再定義を

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警戒水位の線を引く。水位があそこまで上がったら逃げなきゃ(撮影・マツミナ)

 町を歩くと、大勢の働く人と出会えますね。イデちゃんが建設現場なら、私は川のほとりで。作業員さんは、水位計の横に警戒水位を示す白線を引いている最中でした。「水がここまで来たら、すぐに逃げてください」という助言もいただきました。

 我が家はかつて床下浸水したことがあるので、雨が降り始めたら空模様と川から目を離せません。川の流れを読み誤ったら、一大事。我が家にとって「読む」は命懸けなのです。

 

 イデちゃんの書いていた「小さい時から読む、書くを大切に」はごもっともです。そのためには、「読む・書く」を再定義する必要があるかもしれません。

 スマホ登場以来、子どもたちは十分に読んだり、書いたりしているはずです。「中毒」と言ってもいいほど、毎日たくさんの文字を目にし、書いています。LINEやツイッターなど、スマホの画面から、たくさんの文字が流れ出してきます。学生や子どもたちにとっては、画面をスクロールすることも「読む」。LINEのアプリを開いて「既読」をつけても「読んだ」ことになるでしょう。

 ところが、「本を読む」だけは別格のようです。これほど朝から晩まで読んでいても、「読書は苦手」「頭がついていかない」「集中力がもたない」と訴えてきます。紙の本だけでなく、電子書籍も変わらないといいます。紙の本は読まないけれど電子書籍は読む、という学生にはまだ会ったことがありません。

 やりとりを重ねるうちに、学生の考えている「本を読む」のハードルが高めに設定されていることに気づきました。「速読」「精読」「熟読」そして「読了」「読破」です。早く、丁寧に、深く、それを最後まで。

 評論家の中村真一郎が30年かけて一冊の小説を読了した経験を書いていました。小説家の堀辰雄に「ゆっくり読む訓練をしないと、芥川(龍之介)さんのようになるよ」と注意されたことがきっかけだったとか。堀は中村のために、テキストを1行ずつ時間をかけて読む輪読会まで催してくれました。ちなみに、30年かけて読んだ小説のストーリーは、漠然としてわからなくなっていたそうです(中村真一郎『本を読む』)。

 私たちはどんな「読む」を期待しているのでしょうか。30年かけて読んで、終わった頃にはストーリーもわからない状態がありなら、1行読んであとは積ん読もあり。積ん読ならば、紙の本でないとできませんね。スマホに収納された電子書籍の存在はすぐに忘れてしまいます。

 いずれにしても、「読む」の再定義は必要です。たぶん「書く」も。(マツミナ)