idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

字を書くと「手が痛い」

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書くと「手が痛い」がつまずきの始まり…。


 「読む」は言葉を通して考えること。「見る」とは違いますね。では「書く」はどうでしょうか。再定義の前に、今日のClass Qで学生とやりとりした「書く」についてお伝えします。

 

 今、Class Qの学生と「Pre-Class Q」を続けています。帝京大学に入学予定の高校生を迎え、来週からオンラインで入学準備教育を始めます。先輩学生には、高校生のサポートをしてもらいます。効果的なサポートには、自分がどこでつまずいたのかを言語化しておく必要があります。

 まず求めたのは、「社説の視写(書き写し)」のふりかえりです。論文を書くためのトレーニングとして日常の課題にしています。構成や表現の仕方などを手を動かすことで覚えてほしいと伝えています。ところが、大半の学生は続けられません。続けられない自分を責めながらも、続かない。帝京、上智、いずれの学生も変わりません。高校生も同じでしょう。ならばふりかえることで、打開策も見つかるはず、と踏んだのです。

 その結果、「手の痛さ」がつまずきの始まりにあり、時間の経過とともに意欲が落ちていくことがわかりました。学生たちのふりかえりの言葉を、意欲と時間軸の二軸にまとめたのが、今日の写真です。

 最初は意欲があるのです。だから「どう書いたらいいか」と考えます。書き始めて気づきます。原稿用紙の「マス目が大きい」。学生の多くは「薄く、小さく、乱暴な」字を書いてきました。でも、ClassQで求めているのは「濃く、大きく、丁寧」な字。読み手の存在を意識してほしいからです。「大きなマス目」に書き慣れない大きな字を書くと「手が痛い」し、「疲れる」。鉛筆やシャーペンを使えば「手が汚れる」。

 書き写すときに、しばしば間違えます。自分の文章の癖が出ることもあるでしょう。「何か食べたり飲んだりしていると間違える」こともあるそうです。すでに飽きていますね。間違えたら、消しゴムで消さないで、二本線を引いて、横に書き直すよう伝えています*。なぜ間違ったのかをふりかえるきっかけになりますから。でも、その手間も面倒だから「イラつく」。

 社説の視写専用の原稿用紙はデータで渡しているので、印刷代が気になります。一つの社説を書き写すのに必要なのは4枚程度。1枚10円なら40円です。複数の学生がこの印刷代が負担にだと指摘していました。はるかに高額なスマホの料金は気にならないかと尋ねると「好きだから気にならない」という答えが返ってきました。わかりやすい。こうして時間の経過とともに、学生の意欲は落ちていくようです。

 つまずきの始まりに「手が痛い」があることは象徴的です。いかに学生たちは書かずに大学に進んできたか。キーボードを「打つ」やタッチパネルを「さわる」方がはるかにラクじゃん、それでどうしていけないの、という学生に「それでも手で書く意味」を理解してもらいたい。さて、どうしたものでしょうか。(マツミナ)

 

 *『視写の教育 〈からだ〉に読み書きさせる』(池田久美子著、東信堂)を参照しています。とても情熱的な実践記録です。感動のあまり池田先生のご自宅までお話を伺いに押しかけてしまったぐらいです。コロナ禍のはるか前のことです。