なぜ学生は差別問題に「他人事」か
森会長がとうとう辞任するようですね。でも、辞任で一件落着では困ります。問題の根底にある日本社会の病巣まで論議を深めてほしいと願っています。
イデちゃんも心配していましたね。「議論の核心が功績の大きさや受け止める側の不寛容さにすり替えられ、問題の焦点が曖昧にされていく」と。すでに学生たちにとって「他人事」かもしれない、と危惧しています。昨日のClass Qで、首を傾げたくなる学生たちの発表を目の当たりにしたからです。
課題は「女性が増えると」発言の記事。これを「東京パラリンピック出場が決まっている女性アスリート」の立場で考えてもらいました。出てきたのは、こんな質問です。
〈問題をきっかけに〉
1、あなたは森さんの発言をどう思いましたか?
2、あなたは差別を当たり前だと思っていませんか?
3、個性を否定されない世の中を創るために、私はどう意識的に行
動していくか?
1、2の質問は重複しています。問題を分解できずに質問をつくるとこうなり、最後はアクションプランっぽい質問でお茶を濁す。学生の逃げのパターンです。
〈私たちも同じ「人」、環境を少しずつ変えていこう!〉
1、なぜ森会長は差別的な発言を繰り返しているのか?
2、森会長が身を置いてきた環境はどのようなものだったか?
3、今の環境との違いは何か?
環境や世代で説明できる問題ではありません。
差別が絡む問題になると、なぜか学生は「他人事」になります。「自分事」ではないから、どこか「及び腰」なのです。幸運なことに差別されたことがないからかもしれません。昨年起きた米国でのデモにしても「黒人差別」という形でとらえる傾向が強く、「人種差別」、ましてや自分たちが「黄色人種」で「差別される側」であることに気がついていないのでしょうか*。
この問題を課題にしたのは、学生たちに理不尽と戦う知的基礎体力をつけてほしかったからです。卒業して働き始めたら、性別や年齢、国籍による差別を受けることになるでしょう。他人事ではいられません。その時、敢然と立ち向かい、感情ではなく論理で「あなたの言動に問題がある」ことを相手に説明しなくてはいけないのです。理不尽に対して「ノー」と言う。学生たちに磨かせている「質問力」はその役に立ちます。
またこうした問題を学生たちに投げてみます。(マツミナ)
*明治大学の廣部泉教授もその著書で学生について次のように書いています。
「豊かで安全な日本社会に暮らす彼らは、同じく豊かで安全な郊外に暮らす『アメリカ白人』の視線を我がものとし、むしろ貧しい人々を他者化している」(『黄禍論~百年の系譜』より)