idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

退学率が察知する「有毒ガス」は何か

  

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寒気が緩み、アンネのバラが咲き始めた(イデちゃん)

 オリ・パラ組織委会長の発言に端を発した田舎芝居は第一幕「会長辞任」が終わり、第二幕「後任選定」の幕が上がりました。幕間のドタバタで思い出したのはK・マルクスの指摘です。「ヘーゲルは言った。歴史は繰り返すと。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」。釈明の記者会見までの支離滅裂ぶりと後任選定の朝令暮改状態からすると、一度目は「喜劇」、二度目は「悲劇」と言った方が当たっているかも知れません。第三幕では座布団が乱れ飛ぶことでしょう。

 

 さて、留守中にミナさんから「退学率は誰の責任か」という大きな宿題が出されました。退学率が大きな変化の予兆を察知する「炭鉱のカナリア」だとしたら、退学率が察知する「有毒ガス」は何か。

 

 日本の大学は諸外国に比べて退学率は低いようです。日本では入学しさえすれば卒業は容易なのに対し、欧米諸国では、入学は容易でも卒業が難しいといわれます。大学での学びの価値付けが日本とは異なり、求める資格や実績が満たされれば、卒業には固執しない考え方があるのかも知れません。

 2014年、オックスフォード大学のマイケル・A・オズボーン准教授がAI(人工知能)の発展によって「あと10年で人間が行う仕事の約半分が機械に奪われる」という予測を発表しました。「消える職業」の中に、特許専門の弁護士、銀行の融資担当といった比較的高度な知識を要する職種が含まれていました。

 日本では「いい大学に行って、いい会社に入って、生涯安定した生活を送る」という選択が長いこと是とされて来ましたが、高等教育の大衆化と雇用形態の変化が進み、それが色褪せてきた感がします。そこへ仕事の約半分が機械に奪われるという予測がされたわけですから、「大学を出れば何とかなる」という「共同幻想」は遠からず終焉を迎えるでしょう。そんな時代の到来が迫る一方で、多くの大学はカウンセリングや授業出席を管理するなど退学予防対策に力を入れています。手厚いサポートで無事卒業し就職したとしても、大卒者の3割が3年以内に辞めている実状を見れば、もともと大学に来なければよかったのにと思うのはいけない考えでしょうか。

 

 第一志望が「一番行きたい大学」ではなく「受かる大学」だとすれば、「大学で何を学ぶか」より「入るための選択」が優先されるのは当然です。そして、入学してもよほどしっかりした目的意識がなければ、大学で学ぶことの意義や意味を見出せないまま、無為に過ごしてしまうのも、また当然でしょう。だったら、4年間も遊ばせないで、社会に出てすぐ役に立つ技術や知識を身に付けさせ、即戦力として使ってもらおうと考えるのもこれまた当然。当然の積み重ねで、大学の専門学校化が押し進められ、実学優先、人文軽視の風潮に拍車が掛かるのです。10年後には無用になっているかも知れない知識や技能を身に付けさせるために。

 

 そこで「退学率」は誰の責任か――。「入れる大学」を進めた高校の先生。面白くもない授業を連綿と続ける大学の先生。小さい頃から「学ぶこと」の意義や「生きる」ことの意味を分かり易く教えてこなかった小中学校の先生。個性重視、創造性に富む人材をと言いながら扱いやすい学生を求める企業。失敗を許さない不寛容な社会。もちろん、保護者の育て方や期待の中身、学生自身の考え方や生き方にも責任ありです。全員が共同正犯です。

 退学率が察知する「有毒ガス」とはこうした「学びの衰退」を指すのではないでしょうか。

 言いたい放題で、ああ、スッキリした。件の会長もこれくらい放言すれば、辞任しても悔いはなかったでしょうね。(イデちゃん)