idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

「落第」の理由を説明できるか

 

f:id:Question-lab:20210218114941j:plain

今日はアップルパイ。幸せなひととき(マツミナ)

 横丁のご隠居さん、吠えましたね。こういうの大好き。ご隠居さんに賛成できる部分もあるけれど、異議もあります。

 

 まず賛成。「分数ができない奴でも入れないと大学はもうからないのかい」。その通りです。定員割れすると補助金が削られるし、学費収入も減ります。定員割れした大学は敬遠されるので、受験料収入も減ります。日本の大学の受験料は、世界的に見ても高額ですから、減収は痛いでしょう。教職員の雇用維持も厳しくなります。

 どんな学生を入れても、カリキュラムと教員さえ整えて力をつければ、大学の評判は上がるはずなのに。それをやらずに文句を言っているようなら、大学の方が悪いです。大いに非難しましょう。

 

 寒天突きにも問題があります。学びの場が工場のベルトコンベアーにしか見えないのです。

 「跳び箱を跳べなかったら落第」が妥当かどうかは、跳び箱を跳ぶ意味を先生が説明できれば、ありです。単に4段跳べたけれど5段は跳べなかったから落第ではなく、子どもに跳び箱を飛ばせる意味をきちんと説明してほしいのです。一つ一つの教科、単元の意味を先生自身が説明できれば、自ずと授業の進め方や課題の出し方、添削の仕方も変わるはずです。コンベアーではなくなります。ちなみに、4段も跳べなかった私には、いまだに跳び箱の意味がわかりません。

 ご隠居さんは吠えてましたよね、「勉強の仕方を教えておいてくんな」。これこそが義務教育ですべきことでしょう。だとすると、履修制では自ずと限界がありませんか。

 例えば算数。平行四辺形の面積の計算では、早く正解にたどり着くよりも、補助線を引く面白さを学ばせてほしいのです。どこに補助線を引くのも自由です。楽しいじゃないですか。隣の子と補助線の引き方が違ったら、もっと面白い。教えてほしいのは、思考そのもの、しかも考えるって楽しい、ということではないでしょうか。だとすると「時間がきたからハイ次」では行かないはずでしょう。

 それからご隠居さん、誤解です。大学は修得制ではないですよ。1学期15コマの授業をとったら、学期の間に必要な学修時間は1350時間、1日18時間の学習です。これを読んだある大学理事長から「日本のサラリーマンの平均労働時間より長い!」とコメントが届きました。平均労働時間は「年間」1734時間です(厚生労働省「毎月勤労統計調査」2019年)。実現不可能なことが可能であるがごとく組み込まれている、修得制のフリをした履修制が大学教育の現実です。

 

 小学校から大学まで履修制で、その結果、「年齢主義」をはびこらせるだけになっていると見ています。15歳で高校、18歳で大学、20代半ばで学びを終えて就職。40歳になるまでに課長ぐらいにはなって。女性だったら30歳代で出産して、とかね。私が20代の頃には「クリスマスケーキ」なんて言い方がありました。25日までは何とか売れるけれど、26日以降は廃棄処分。いずれにしても寄り道は「悪」、ルートから外れたら「落伍者」です。

 人生がいかに長くなっても、20代半ばで学びから卒業してしまう風潮の根底には、年齢主義に縛られた履修制があります。「その年齢ですべきこと」より、「何歳でも今すべきこと」を自分で考えて行動に移せる人を育てたいと考えています。

 青臭いことを書いてしまった。イイトシなのに。(マツミナ)