idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

有毒ガスを吹き飛ばす「添削」

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学生からの差し入れ。「疲れた時にはコレですよね」。お気遣いありがとう(マツミナ)


  
大学の退学率は「炭鉱のカナリア」として、「学びの衰退」という有毒ガスの存在を知らせてくれているのではないか。だとすると、空気の入れ替えには何が必要か――ここ数日のやり取りはそこから始まったのでしたね。

 

 「同じ年齢の子は同じ時期に同じことを学ぶ年齢主義が壊れ、国の教育制度が揺らぎます。だから乗っていてくれないと困るのです」――。横丁のご隠居さんは、履修制を修得制に変えるのは無意味だし、そもそも誰も望んでいないとおっしゃるわけですね。

 確かにご指摘の通り、跳び箱を跳べなくても困らないですね。そのほかにも、大人になったら何の役に立つのという内容が、学校にはいっぱいあります。大事なのは、年齢主義、制度の維持だとすると、学びの衰退は仕方がないことかもしれません。しかも、教える側も学ぶ側も、学校制度を維持するおとなも、みんなグルになっての「共同正犯」です。

 欧米の列強に追いつくため、明治政府は今の学校制度を作り、教室にぎゅうぎゅう子どもを詰め込んで、お国の役に立つ人材の大量生産に励みました。それでうまくいった時もあったけれど、今はそういかない。だから「教育改革」が訴えられているわけでしょうね。実は誰もそんなことを望んでいないかもしれないけれど。

 

 でも昨日、私はだいぶ違う空気を感じましたよ。入学前Class Qの2回目で、帝京大学に入学する予定の高校生78人と帝京・上智の学生12人が参加しました。授業内でのやりとりもさることながら、特筆すべきは授業の3時間前に始まった、学生による高校生の課題添削でした。

 添削を通して、学生は何に気づくか。結論から言うと、「自分は学ばなくてはいけない」ことでした。例えば、ある学生が課題を前に頭を抱えていました。「字が汚くて、読めないんです」。あなたのいつもの字の方が…とは言わず、丁寧に書きなさいと教えてあげて、と返しました。学生はにっこりして伝えた通りのコメントを書いていました。

 別の学生は「この子は文章を書いてこなかったんだな」。どうしたらいいかアドバイスしなさいよ、と伝えます。「まず、段落をつけることから考えよう」と書いたうえ、学生は改行する箇所にマークをつけていました。あなたはいつもA4サイズのリフレクションシートを1段落で書いているよね。

 その他にも学生たちは課題からたくさんの発見をし、終わってから異口同音にこうまとめました。「読み手の気持ちがわかった」。つまり、自分はもっと学ばなくてはいけない、ということです。

 学生たちは集合時間からして、いつもとは違っていました。正午集合にもかかわらず10時半には集まり始めていました。オンライン授業ですら、寝ぼけた顔でギリギリに飛び込んでくる姿とは全く違います。学びの場の空気を変えるのは、制度ではなく、学ぶ人自身の内発的な何かかもしれません。(マツミナ)