知識基盤社会はどこにあるのか
つい先日、帝京大学3年の学生から秋学期最終論文「職種について」の再提出を受けました。「質問力を磨く(ClassQ)」を1年次から履修している学生で、課題のたびに苦戦しています。成績評価はとうに終わっていましたが、学生自身が「その日を締め切りにします」と自ら定めてきました。
今回の面談でも論文の音読から始めました。「誤字が3か所あった」「『このように』と書いたけれど、記述が抽象的で何が『このように』なのかわからない」と自分でツッコミを入れていました。
教育再生実行会議「これからの大学教育等の在り方について(第三次提言)」ですか。第2次安倍内閣が発足した翌年だったせいか、「徹底した国際化を断行」「世界に伍して競う大学の教育環境」などと気負った文言が目につく提言でした。
当時から違和感を抱いていたのが、提言が前提とする「知識基盤社会」という時代認識です。「21世紀は知識基盤社会」と確かに言われていたような気がします。
今年はもう2021年。知識の陳腐化はますます加速していますが、自ら磨き上げる人を尊ぶ社会になったのでしょうか。大学名を見ずに「学び続ける人かどうか」を基準に採用する企業は増えたでしょうか。大学や大学院で学び直す社員が昇進・昇給するのは当たり前になったでしょうか。提言には「我が国の大学を絶えざる挑戦と創造の場へと再生」とも書かれていました。そんな大学を必要とする知識基盤社会になったのでしょうか。日本では「2年後には90%の確率で壊れる400万円の商品」で、誰も困らないのかもしれません。
冒頭の学生の話に戻します。1時間の面談後に学生が出した結論は「また書き直します」。成績評価は終わっているよと繰り返すと大きくうなずいて「自分はわかっていないと実感するんです」と言います。「職種について」が課題に出され、初めてこの言葉を知ったそうです。「何も知らないで就職活動をするなんて、恐ろしい」。だから論文執筆を通して資料を読み、しっかり考えたいと話していました。
真摯に学ぶ学生を大切にしてほしいと心から願っています。それが知識基盤社会への第一歩です。(マツミナ)