idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

過ちを改めざるこれを過ちという

 

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明日は私の誕生日だから、前祝い。もちろん明日は明日で!(マツミナ)

 前回、スマホを1週間平均で8時間超使っていた学生が、努力の末に約1時間にまで短縮できたことを書きました。でも、こんなことができる学生はまだまだ少数派です。

 スマホに内蔵されているAIは、とても聡明です。持ち主がスマホで何を検索しているか、何を買っているか、何を読んでいるかを的確につかみ、好みに合わせてヒットする情報を出し、その順番も変えてくれます。「カスタマイズ」ですね。自分の注文に応じてくれる環境から出て、好みに合うかどうかは読んでみないとわからない本を読むのは、スマホ愛好家にとっては苦行かもしれません。使い手の傾向を読み取って「予測変換」もしてくれないから、手書きは面倒。第一、知らない文字がたくさんあるし。意見が合わない確率の高い他者と対話するのもだるい…。「手書き」「新聞や本を読む」「他者と対話」を盛り込んだClass Qがいかに過酷な授業か、こうやって考えるとよくわかります。

 当然、逃げ出す学生もいますが、そうでない学生も少なくはありません。前回「ラスボスは誰か」(3月6日)で紹介した、ネットで拾ったワークショップの題材を「鵜呑み」にしてお詫びをする羽目になった学生はその好例です。

 私が題材が誤っていることに気づいたのは、授業中でした。けれども、その場で「これは間違っています」と高校生の前で指摘するのは憚られました。学生に決定的なダメージを与えるのではないかと懸念したのです。できれば、学生に傷をつけずに済ませたい。これだけ一生懸命やってきたのだから。けれどもやはり、どうするかは学生自身の判断に委ねようと決めました。そこで授業後すぐ、この題材には決定的な欠陥があることを伝えました。学生ははっと顔色を変え、翌週までに何が問題だったかを調べ、高校生たちの前で潔く頭を下げました。

 その直後、目を見張りました。画面の向こうの高校生たちも頭を下げていたのです。拍手をしていた高校生もいました。何が起きたのでしょうか。しばらく考え込んでしまいました。

 ふと手帳に書きとめてある論語が頭に浮かびました。

「過ちを改めざるこれを過ちという」「過ちは即ち改むるに憚ることなかれ」

 

 学生たちのスマホ使用時間はまだまだ相当長いけれど、「1億総白痴」へまっしぐらではありませんよ。

 悪事が露見したにもかかわらず開き直り、その数日後に責任を取らざるを得なくなった政治家や役人にも見習ってほしいです。(マツミナ)