idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

学生の自己教育力を育てる

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早咲き一輪見〜つけた(イデちゃん)

  昭和50年代のことです。その頃、中央教育審議会(第13期)では「自己教育力」について議論が交わされていました。この聴き慣れない言葉を巡って教育現場には様々な解釈や説明が飛び交いました。

 杉並区の教育研究会の研究テーマは当然のように「自己教育力」が選ばれ、中教審分科会の委員長で「自己教育力」の「生みの親」である河野重男氏に、研究大会の基調講演をお願いすることになりました。

 

 当時、研究会の幹事をしていた私は迎えの車中で河野氏に尋ねました。

 「先生、自己教育力ってよくわからないのですが……

 後ろの席に座る先生は、恥ずかしげもなく尋ねる無知な教師に「それはね、生き方の問題ですよ」と話してくれました。

 「うーむ、生き方ですか」と唸る私に、先生は「いかに生きるかという問いを持ち続け、学び続けることですね」と加えて説明していただきました。

 

 会場で配布された資料に「自己教育力とは、自らの目標を設定し、それを自覚しながら、目標に向かって自ら働きかけ、自己統制をしつつ、自らの成長を不断に図っていこうとすることであり、自分を教育する力のこと」とあるのを読み、講演をうかがって「なるほど、そういうことか」とわかったような気になりました。

 その後、「生きる力」とか「確かな学力」といった語句を並べた答申や報告が続きましたが、「自己教育力」はそれらに通底するものだと理解し、納得が深まりました。

 

 「考える先生」育成プログラムは、学生の自己教育力を育てる取り組みです。

 「大学改革のデパートに並ぶ商品ではありません」(ミナ)。その通り! これまでの「商品」と違う点は、大学(教える側)が設定した課題解決に向けて学生(学ぶ側)を指導し、成果や到達点を評価・評定するのではなく、学生が自分で課題を設定し、解決に向けて自ら学び、自身の成長や変化を自分で確認するところにあります。支える側の役割は教えることではなく、学生が学校で大人や子供たちとの関わりを通して、どのように変容していくか、そのメタモルフォーゼの過程を見とることです。

 

 大学の教員養成を巡って、こんな指摘がされています。

「入学当時は教員を目指している学生もいれば、自信を失ってしまう学生もいる。(略)教員志望の学生の意識変化が丁寧に把握されてきたわけではない。大学でのどのような学びが教員への自信につながるのか、逆に、現状のカリキュラムにはどんな問題があるのかといったことを、分析し、改善していくことが求められる」(教育新聞より 柳澤幸治・文科省教育人材政策課長)

 

 私たちは、こうした指摘に答える手がかりを見つけ出し、新しい学びを「次の世代へのプレゼント」にしたいのです。(イデちゃん)