idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

スイッチの入る時を待つ

 

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コブシが咲き始めた(イデちゃん)

 「勉強してよかった」「もっと勉強したい」と思う瞬間、自己教育力のスイッチが入るのでしょうね。素敵なことです。私たちの役割は「もっと勉強しなさい」と押し付けがましく迫るのではなく、「その気になる」ように働きかけ、学びを支援することです。迂遠な取り組みのように見えますが、これが一番確かな方法だと思いますね。昔書いた学校だよりを読み返し、改めてそう感じました。以下にご紹介します。

 「長く感じられた冬でした。建物の北側にいつまでも残っていた雪のせいかもしれません。それでも日差しや風は正直で、いつものようにちゃんと季を運んできました。寒さの中で体の奥に固まっていた何かが、ゆるゆると溶け出していくのがわかります。弥生3月、巣立ちの春です。

1月号の『自分をさがす』を読まれて、次のような感想をいただきました。

『生きるということの意味を考えさせられました。戦後50年の教育は哲学や倫理を無用の長物扱いして、脇に追いやってきたようです。人間形成や市民としての教養、あるいは深く考えることや批判力を培う教育を怠って来たのではないでしょうか。』

今になって、そのツケの支払いを求められているのではないか指摘されています。

私は手紙を読んで、こんなことを考えました。

学びの中身が生きることとかけ離れてしまい、学ぶことを自分の問題として捉えられなくなってしまった。だから、子ども達にとって学習はやらされるものであり、わけの分からない勉強は苦痛でしかない。私たちは『人はなぜ学ぶのか』という問いに対して答えを失ってしまった。だから『自分探しの旅』というのは、生き方を喪失した大人達への回答でもあるといえるかもしれません。

 

先日、『学ぶということ』について6年生と学習しました。小学校の卒業を前にした彼等と一緒に、このことをぜひ考えてみたかったのです。

 『世界には読み書きの出来ない人が9億人もいる。アフリカのある地域では母親が文字を覚えたことによって、乳幼児の死亡率が大幅に減少した。それまでは、汚れた水を飲んではいけないというポスターの字を読めなかったために、多くの母親が赤ちゃんにその水 を飲ませて病気になっていた』(概略)」というユニセフの資料を題材にしました。

『学ぶということについて皆で考えた。友達の意見を聞いているうちに、自分の行動一つ一つが喜びであると思った。僕たちは喜びを手に入れるために勉強するのだ。今この感想を書いているのも喜びの一つだ』

『きょうは私にとって、すごく貴重な授業だった。いままで勉強してきて、初めてよかったと思った。次が待ち遠しい』

 

授業の後、子ども達が書いてくれた感想を読んで、私は救われた思いがしました。学ぶこと生きることについて、6年生なりに考え受け止めてくれた手応えが伝わってきたからです。ありがとうと言いたくなるような気分でした。」

「学校だより1998年3月号巻頭言『学ぶこと生きること』 杉並区立久我山小学校」(イデちゃん)