idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

大学教育は「役に立つ」か

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この先、どうしたものか(マツミナ)


 
以前、イデちゃんは分解にはまっていると書いていましたね。分解されたパソコンは、コンビナート群のようでした。

 私は「糸かけ曼荼羅」にはまっています。板に打ち付けた釘に糸をかけて模様を創り出すのです。板の形、釘の位置や本数、糸の素材、太さ、色などの組み合わせで、全く違う作品ができあがります。次はどこに糸をかけるか、作業に没入するため、日々の憂さをすっかり忘れてしまいます。至福のひとときです。

 ところが先日来、困っています。次にどんな糸をかけたものか決められないのです。当初の構想は黄→黄丹→唐紅→江戸紫の後は、抹茶や青鈍を入れてまとめるつもりでした。制作中の板を見ていた次女にその構想を話したら、別の提案を出されたのです。「中心部は『夕焼け』のようだから、濃紫を挟んで青系に展開し、『夜明け』につなげたらどうか」というのです。

 そこではたと気づきました。私は何を描きたかったのだろうか。色の組み合わせを決めた後は、糸の順番とかける位置を間違えないように、それだけに集中していました。私には「構想」がなかったのです。

 

 過日、長谷川真理子総合研究大学院大学長、吉見俊哉東京大学教授と鼎談する機会がありました。テーマは「大学教育は役に立つか」。国の進める「選択と集中」政策で、大学間に格差がどんどん広がっています。それでも「役に立つ」ことだけは一様に求められています。役に立つとはどういうことか、誰の役にたつか、一時的な役に立てばいいのか、永続的にか。そもそも大学とは何か……。

 次々に疑問が出てくる中、長谷川さんはこうしたことを考える際には、理念と価値観が必要だと指摘し、例としてケンブリッジ大学の理念に言及していました。こう書かれているそうです。

 

 「大学は最高レベルの教育と研究を通じて社会に貢献するが、コアバリューは思考と表現の自由と全ての差別からの開放である。そのために疑問を呈する精神を育むのが大学の教育目標である」

 

 長谷川さんが学長を務めている大学のサイトには「深い専門性、広い視野、国際通用性を備えた次世代研究者を養成する」などとしか書かれていません。何を価値、理念とするかは書いていないと話していました。

 吉見さんも同意見でした。総研大だけでなく、東大をはじめ日本の大学にはそうした理念がないと指摘したうえで、近代化政策の中で大学を急ごしらえした歴史から問い直さなくてはいけないと話していました。

 

 今、何をしなければならないのか、そこに集中すれば、その部分だけはうまいこといくでしょう。部分最適とでもいいましょうか。ところが部分最適を集めても、全体最適にはなかなかたどりつけないようです。

 さて糸かけ曼荼羅。次の糸をどうしようか。指が止まったまま、明治政府が作った「大学」に思いを馳せていました。なんだか壮大な作品ができそうな予感がします。笑。(マツミナ)