idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

「考える先生」への道のり

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生クリームと努力は裏切らない(マツミナ)

 大学は「勉強するところ」ですか? 確かに学生はそう言いますね。大好きな「新明解国語辞典」にこう書いてあります。「そうする事に抵抗を感じながらも、当面の学業や仕事などに身を入れる意」。やっぱり勉強するところ、かなあ。

 でも私にとっての大学は、自分の好奇心のままに問うて学ぶ「学問の府」です。

 先日、上智大学で「質問力を磨く(Class Q)」を開きました。同大、聖路加看護の学生や大学院生、企業人らが集まりました。企業人は上智大学のプロフェッショナルスタディーズ修了生たちが中心です。

 その日使った読売新聞記事はミャンマーのクーデターの続報です。国軍がデモ鎮圧の主体になったと報じていました。なりきる立場は「国連でミャンマーを担当するブルゲナー事務総長特使」。事務総長特使になりきってこの記事を読んだら、どんな質問が出てくるのでしょうか。

 最初、参加者全員がとても苦戦しました。どうやら先入観と偏見が思考の邪魔をしたようです。国連の人だから善人に違いない。もちろん市民は善良な被害者で、国軍は100%悪者…。善悪を決めて、手持ちの知識で物事を眺めると、質問が広がりません。先入観と偏見には思考を「型にはめる」力があるようです。はまり込んでしまうと出られないのです。

 

 「型にはめる」のは、ひょっとしたら教育機関の「十八番」なのでしょうか。いつのまにか大学もそうなっているような気がしています。これを学ばせなきゃ、あれも必要…で、気付いたら「必修科目」ばかりです。自分で自分に必要な科目を選び、オリジナルな学びの道を創っていく余地はかなり限定されています。

 資格や免許と直結する学部はなおさらです。たとえば教職課程のある大学・学部は、免許を取るための科目と採用試験対策でガチガチです。当然、好奇心のままに問うている余裕はありません。そういうところで育てられた学生が、現場に出た瞬間に「考える先生」になれるのでしょうか。周囲が求める「即戦力」に手っ取り早くなるには、「先生の型」に自らをはめることになるでしょう。そんな先生が「考える子ども」を育てることができるのでしょうか。その子どもがいつか大人になり…。このまま「考える先生」が輩出される時代の到来を待っていていいのでしょうか。

 

 さて、Class Qに戻りましょう。この日は参加者全員に「情報カード」を用意してもらいました。思考が広がっていく、あの魔法のカードです。

 記事で読みとった単語などを書き出しました。カードに書き出した「気になる言葉」が、他の仲間に刺激を与え、それぞれの中にあった先入観や偏見を壊し出したのでしょうか。カードがどんどん増え、分類するうちに、最初に記事を読んでいた時とは全く異なる質問が出るようになっていました。

 いつの間にか、床には筆記用具やカード、新聞などが散らばっていました。まるでひっくり返ったおもちゃ箱のようです。雑然とした中で、それぞれの思考だけが弾みながら広がっているようでした。型から外れて。(マツミナ)