SNSと教育機関
毎日こうしてブログを書きながら、人にとってSNSとは何だろうかと考えています。以前は、人から思考と表現力を奪う「麻薬」のようなものだと思っていました。短文どころか単語や絵文字で「相手に伝わる」と錯覚させる欺瞞性。「伝わっている」と錯覚することで、論理的な思考、語彙、表現力が育たない。他者による承認欲求ばかりが強くなり、自分自身の判断軸を保てなくなる…。人を悪くさせる以外の存在意義を認められませんでした。
その認識を変える一つのきっかけは、マイケル・ムーア監督の映画「華氏119度」(2018年)でした。トランプ氏がなぜ大統領になったのかを米国を取材する中で浮き彫りにしたドキュメンタリーです。
2年も前に見た映画にもかかわらず、印象に残っている場面があります。ハイスクールでの銃乱射事件を受けて、若者たちがFacebookやTwitterなどのSNSでつながり、各地で一斉に銃規制を求めて立ち上がりました。
運動の中心になった若者たちに、ムーア監督はこう語りかけます。
「私たちの世代は、ただ一ついいことをした。君たちを育てたことだ」
これに対して、女子高校生がはっきり「No」と返しました。
「私たちを育てたのは、SNSだ」。あなたたちではない、と。
道具ではなく、学びの土壌になっていたということでしょうか。昨日、東京大学の学位授与式の総長告辞を読み、東大生の力を引き出していることも知りました。
告辞によると、SNSで使われる絵文字は「1999年に日本で開発され、世界各国でも用いられ、2016年にはニューヨーク近代美術館に永久収蔵」されているそうです。総数は3000字以上、常用漢字の数を超えています。「emoji」として言語学や情報学の研究者たちが真剣に研究対象にしているようです。同大の院生チームも研究を進め、入力のためのキーボードと入力支援システムを開発し、注目を集めていると書かれていました。
SNSが人の思考力を磨き、育ててくれるきっかけになっているのです。思考力を磨き、育てることをそもそもの使命とする大学など教育機関の責任は、ますます重くなっているような気がします。(マツミナ)