idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

長い道のり

 

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夜來風雨聲 花落知多少(イデちゃん)

 

 二年ぶりに春の高校野球が始まりました。堂々とした体格の三年生に混じって、小柄な二年生の選手もいます。ピンチを迎え、マウンド上で仁王立ちする投手の目には、すでに大人のような強さがあり、バッターボックスを外して、サインを伺う打者の顔は、まだ子供のように初々しく見えます。今、この子たちの親ごさんはどんな気持ちで試合を見ているでしょうか。手に汗を握るというけれど、それどころではないかもしれません。早くこのピンチを乗り切ってほしい、ヒットを打って欲しい、せめて三振しないでと、気が気ではないと思います。打たせてやりたい、エラーしないで欲しい、試合の行く末より、目の前で我が子が立ち向かう、逃れようのない瞬間を、息も詰まる思いで見つめていることでしょう。私も親になったような気持ちになり、ドキドキしながら見てしまいました。

 

 「教職課程のある大学・学部は、免許を取るための科目と採用試験対策でガチガチで、好奇心のままに問うている余裕はない」(ミナ)という話を知人にしたところ、司法試験を目指す法学部や医師の国家試験を受ける医学部の学生も似たようなもので、教え、勉強させ、覚えさせ、練習させ、試験対策を徹底して、合格するまで面倒見なければならない。考えるなど

と余計なことをしている暇はないと言わんばかりでした。大学の先生も大変ですねえ。

 

 大学生になった時、偉そうな大学教授にこんな説教をされたことを思い出しました。

「小学校の先生はわからせる、中学は覚えさせる、高校は解かせる、大学は考えさせる」

「私の仕事は君たちに考えさせることだ。教わって覚えるばかりでなく、全てを疑い、自分の頭で考えなくてはいけない」と。

 未熟な私は「全てを疑う」ことには忠実に従い、「否定と解体」ばかり主張する「考えなし」(物事を深く考えないで行動すること)の学生でしたが、今思えば、この先生、結構いい話をしてくれたのです。「自分の頭で考えろ」と。半世紀も経つと大学の先生の仕事も変わるのですね。先生が変わったのではなく、学生が変わったのだと言いたい方もいるかもしれませんが。

 

 小学校の教育目標に「考える子」というのをよく見ます。先生の仕事は「考える子」を育てることです。でも、忙しくて考える暇がない学生が先生になったら…。その先を考えるのは止めておきます。

 「考える先生」育てるプロジェクトを進めるなんて言ったものの、何だかとんでもなく長い道のりになりそうですよ。ま、「千里の道も一歩から」で、がんばることにするかな。(イデちゃん)