idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

10年先の先生を育てる

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桜が咲いた(イデちゃん)

 桜が咲きました。古くから日本人と桜は特別の関係にあるようで、桜を愛でる歌、恨む歌、花を待つ歌、惜しむ歌など、桜を詠んだ歌が数多く残されています。

 西行は「ねがはくは 花のもとにて 春死なむ その如月の望月のころ」と詠みました。旧暦の如月はちょうど今頃です。桜は人の心を遠くに誘います。

 業平は「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」と詠いました。桜は心を騒がせます。美しい人に心を奪われた恋の切なさはいつの世も同じようです。

 「清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みなうつくしき」(晶子)

 桜の花の下で逝きたいと思う人もいれば、桜に心乱れる人もいます。罪深い花ですね。

 

 昨年学校が一斉休業になり、失われた学びの時間と遅れた勉強を取り戻すために、9月を新学期にしようという議論が湧き上がりました。海外留学や教育の国際化のためにも是非やるべきだ。これまで何度も試みてできなかった大事業をやるには、千載一遇の機会である、といった声も聞かれました。

 一方で、桜の花と入学式は日本の伝統的風景だ、新学期は4月に始まるのがいいと、真顔で主張する御仁もいました。大学入試改革すらまともにできないような状態で、コロナ騒ぎのどさくさに紛れてやる話ではありません。結局、9月に間に合うはずもなく、いつの間にか沙汰止みになりました。

 教育は国家100年の計といいながら、その時々の社会事情によって、いいように振り回そうとするご都合主義に迎合しなくてよかったですね。熱しやすく冷めやすいのは国民性とはいえ、桜とコロナを一緒にしてはいけません。

 

 ところで、東京都では多くの区市で新年度の新規採用者が100人を超えそうで、「いつもなら見送るレベルの者まで採用しないと間に合わない」とかいう噂を聞きました。本気にするつもりはありませんが、気になる話ではあります。この30年で、雨後の筍のように教員養成系の大学や学部・学科が作られました。教員養成は商売になると見越して投資していたとすれば、大した経営手腕で、まさに先見の明ありです。

 

 では、これから10年、20年先はどんな予想をしているのでしょうか。新年度から始まる少人数学級の実施や指導法の改善のために教員の需要は一時的には増えるでしょう。しかし、少子化の進行は止む気配がなく、今後児童・生徒数は減少し続けます。また、I C Tの活用や学び方の改革によって、教員の役割や求められる資質は変わってくるでしょう。そうなれば、いつまでも大量採用が続くわけはなく、「量」より「質」の時代がやってくることは自明です。10年後に求められる教師の育成を今から始めても早すぎることはないと思いませんか。(イデちゃん)