idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

教員人事異動

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ハナニラ(イデちゃん)

 今日の朝刊に東京都の教員人事異動の別刷が入っていました。見知った名前が並んでいます。新任校長の中に、30年前、新卒教員として迎えた若者の名前を見つけました。彼の歳を数え、自分の歳を数えなおして、改めて過ぎた年月の長さを思いました。

 新聞の見出しに「AI時代 新たなステージへ」とあります。「老兵は死なず、ただ消え行くのみ」ですね。

 

 長いこと人事に携わってきた身の悲しさで「あの学校にこの校長か」などと、つい見入り「なるほど」と腑に落ちるものもあれば、「?」と感じるものもあります。人事担当者の苦心の産物と思いたいところですが、様々な思惑が駆け巡るのも人情というものです。

 

 「人事はメッセージ」と言われます。適材を適所にとはいうものの、当事者にも関係者にも納得のいく人事はなかなか難しいことです。「なんで私がこんな学校に」「どうしてあいつがあの学校に」と思うのは人の性。さりとて一人一人に人事の経緯を説明するわけにはいきません。当人がどう受け止めるか、その人事を周囲がどう理解するか、辞令に込めたメッセージを読み取ってほしいと願い、そのうちわかる時が来ると静観するのも役目の一つです。上等な人事は説明無用と教わりました。

 

 先生も人の子。「不遇」と恨むこともあれば「得意」になる時もあるのが人事です。「河岸を変える」ことによって「水を得る」こともあります。人事は仁事と受け止め、得意の時は澹然と、失意の折は泰然として品格を卑しめないことが肝要です。もっとも、こういうことは学校では教えてくれません。「官僚たちの夏」(城山三郎)でもお読みください。

 

 さて、4月1日は新任教諭の発令も行われます。近頃は大学を卒業してすぐに教員になる人ばかりではなく、かなりの人が臨時的任用教員の経験があったり、社会人からの転身だったりします。辞令伝達式に並ぶ顔も様々で、一様に緊張してはいるけれど、経験はやはり顔に現れます。辞令を受け取る時の様子も、ゼンマイ仕掛けの人形のようにギクシャクした動きの人もいれば、お辞儀の仕方にも落ち着きが見られ、既に先生然とした人もいます。「ゼンマイ仕掛け」が大化けするか、「先生然」が見掛け倒しに終わるか、それは今後のお楽しみです。

 

 私は現職の時、新任発令の時、必ず挨拶に加えたことが三つあります。

 一つは、社会人としての常識(COMMON SENCE)を持ち、公民(市民)としての義務(CITIZENSHIP)を果たすこと。

 二つ目は、社会(現実)との繋がりを大切にして、社会から学び続けること。

 三つ目は、子どもの名前は人格と存在を表す。一人一人の名前を大切にすること。

 

 「いい先生になってほしい」とは言いませんでした。なぜでしょう。(イデちゃん)