誰かを幸せにする人
この時期になると読みたくなる文章があります。
「大学の教師でいちばん滑稽なことの一つは、性懲りもなく四月の学期初めになると学生のことごとくが本格的な知識的熱意に燃え学問の蘊奥を極めようとして教室に集まってくるという錯覚に陥ることである」(林達雄「十字路に立つ大学――困った教授、困った学生」より)
今朝、大学の事務局から連絡がありました。入学準備教育やマラソンQに、本来なら「質問力を磨く(Class Q)」を履修できない学部の学生も混じっていたそうです。そのうちの一人が履修を希望したのですが、原則的には登録できません。そのため、学生の親御さんが「何とか履修できるようにしてほしい」と電話してきたようです。親御さんが電話してきたというところに引っかかりを感じたけれど、学ぶ熱意のある学生がいるのは、とても嬉しい話です。
先日、嬉しい出会いがありました。靴屋の店先で、歩きやすそうな革靴を見つけました。レジに持っていくと、若い女性スタッフがじっと靴を見つめ、何やら思案顔。ややあって「ここに傷があるのです」と示してくれました。確かに目を凝らせば、1ミリぐらいの傷が見えます。「なるほど」とは答えたものの、全く気がついていなかったし、このぐらいはいいとも思っていました。
女性スタッフは、店に同じ商品の在庫がないことを伝えたうえ、「代わりの商品をお探ししますので、少しお待ちいただけますでしょうか」と断って、電話を始めました。どうやら他店舗や倉庫のようです。時間がかかりそうだけれど、大丈夫ですか、とこちらに断りを入れながら、電話に頭を下げながらあちこちにかけていました。
20分ぐらい経ったでしょうか。1週間ぐらいかかるけれど、2店舗から取り寄せられることになったと説明してくれました。
少しでもよい品を客に渡すための一生懸命なその姿にすっかりファンになってしまいました。買いたかった靴がしばしお預け状態でも、幸せな気分です。
林達雄の教え子には、小説家の坂口安吾がいました。「学問の蘊奥を極めようとして教室に集まってくるという錯覚」かもしれないけれど、学生たちには誰かを幸せにする力を持った人に成長してほしいと願っています。(マツミナ)