何を「考える」先生か
読売新聞の4月10日付朝刊1面の記事を読みましたか。
〈生徒と私的SNS禁止 教員わいせつ 文科省、防止指針通知〉
わいせつ行為をさせないために、文科省が全国の教育委員会に指針をまとめて通知したそうです。その一つが、記事の見出しにもある私的SNS禁止です。
「無料通信アプリLINEなどで私的なやりとりを交わしているうちに親密になり、わいせつな行為に及ぶケースが多いとして、教員と児童生徒のSNSの私的なやり取りの禁止を明確化するよう各教委に求めた」(4月10日付読売新聞)
萩生田文科大臣の諮問文にも表れてましたが、文科省は基本的に現場の教員を信用していないようですね。全国の教員はみんな「わいせつ教員」レベルだと認識しているのでしょう。
わいせつ教員の最大の問題点は「考えない」ところにあります。自分の行動で子どもたちをどれだけ傷つけるか、子どもの親たちをどれほど不安にさせるか、自分の頭で考えない。
ひょっとしたら、こういう指針をつくることで「どうしたら見つからないか」「この指針の抜け道はどこにあるか」を考えさせようとしているのでしょうか。
こういう指針を先生たちはどう受け止めて、学校現場で運用していくのでしょうか。「国のルールだから先生たちはSNSを使えない」と説明するでしょうか。
そういう先生を子どもたちはどうみるのでしょうか。「先生は自分の頭で考えなくて、国のルールしか口にしない」「ルールで縛らないと、先生はまともな大人になれない?」「ルールがあれば、自分の頭で考えなくていいから楽でいい」…。
考えない先生を縛るルールが、考える先生と子どもたちも縛っていく。不思議な国、ニッポン。
ところで #教師のバトン はSNSを活用した文科省の施策ですね。使わせてみたり、規制してみたり。考えさせますねえ。 (マツミナ)