idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

「考える先生」を育てるプロジェクトが始まります

 

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朝の浜辺 さて、どんな足跡を付けようか(イデちゃん)


 学生たちは気づき始めていますね。「関わること」「やりとりすること」の魅力に。魔力と言ってもいいかもしれません。人や社会に興味を持ち、怖がらず、恥ずかしがらずに話してみれば、いろいろなことが見えてきます。以前「そのうちに見えてくる」と書いたのはそういうことです。

 

 いよいよ今週から「考える先生」を育てる取り組みが始まります。正確には「『考える先生』を育てるプログラムのプロトタイプ(原型)を創るプロジェクト」ですが、長すぎるので「考える先生プロジェクト」とします。「原型を創るためのプロジェクト」ですから、確かなプランがあるわけでもありません。

 「何を気楽なことを言っているのだ、そんなことでプログラムができるわけがない」と笑う向きも多いことでしょう。これまでに何人もの大学の関係者からご指摘やらご心配をいただいています。シラバスだのカリキュラムだのといった小道具がないのですから当然です。何をしたらいいのか歩きながら考えるつもりです。

 

どうしたら「考える先生」が育つのか私たちもよくわかりません。「こうすれば考えるようになる」と銘打ったHow-to本が書店に山積みです。私たちは「考える先生」になるためのノウハウを教えようなどと、おこがましいことをするつもりはありません。まずは小学校や中学校に行って一日生活する中で、目に映る景色をみる(見る、視る、観る、眺める)ことから始めてもらう予定です。

 

教育実習ではないから、「授業の真似事」はしません。学校の先生から教科の内容や指導法を教わることもしません。生徒や先生が何をしているのか、よく「みて」ほしいのです。学校では生徒同士、先生同士、先生と生徒、その他、様々な人と人とが関わっている様子も「みる」ことができます。最初は何が何だかわらないことの方が多いでしょう。それでいいのです。だんだん見えてきますから。そうすると自然に「なぜだろう、どうしたのだろう、どうなっているのかな……」などと疑問が湧いてくるはずです。話はそれからです。

 

 目に見える変化を確かめることは難しいことではありません。体重や身長のように計測して前回の数値と比較すればわかります。でも、感じたり考えたりしたことは文字や言葉、行動などに置き換えないと外からは見えません。見えるようにすることは結構厄介なことです。それは自分自身のことでも同じで、意外と自分のことはわからないものなのです。

 私たちの役割は、一人の学生の変容・成長のプロセスを伴走しながら邪魔しないように観察し、学生自身が自分の変化や成長を自分で確かめる方法を一緒に考えることです。歩きながら考えるということはそういうことです。予め用意した「考える先生像」に近づけるために働きかけることではありません。

さて、さて、この先どうなることやら。筋書きのないドラマの幕開きです。(イデちゃん)