idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

透明人間にコートを着せよう

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ジャーマン・アイリス やっと咲きました(イデちゃん)

 先日、「運転免許証更新のための検査と講習のお知らせ」という葉書が届きました。免許証の更新期間満了日の年齢が75歳以上になる人は、更新手続き前に、認知機能検査と高齢者講習を受検・受講する必要があると書かれています。認知機能検査により「記憶力・判断力に心配なし」という判定を受ければ「高齢者2時間講習」に進むことができます。そこで、運転適性検査、双方向型講義、60分の実車指導を受け、晴れて免許更新ができるのです。高齢者の運転事故が多発しています。これくらい徹底しないと危ないと思われているのでしょう。

 

 さて、思い出し話の第2弾です。今日は透明人間になった男の話です。「学生には見えない研究者の姿」を読んで、昔見た映画のこんな場面を思い出しました。透明人間は自分には周りの人が見えていても、周囲の人からは見えません。なぜ目の前にいる自分に気づいてくれないのだろうかと考えた末に、気づきます。「そうだ、自分は透明人間なのだ」と。そこで、彼はコートを着て帽子を被り、自分の姿が相手に見えるようにしたのです。

 

 「なぜ同じキャンパス内にいる大学教員たちの『研究者』としての側面が目に入らないのでしょうか」(マツミナ)。それは、もしかしたら大学の先生たちが「透明人間」だからかも知れません。「目の前にいるのに見えない」のは、目に見える姿で存在していないからなのではありませんか。そうだとすれば、学生に研究者の姿が見えないのは当然でしょう。

 

 「鉄腕アトム」に登場する「お茶の水博士」のように、研究室で白衣を着て、試験管やフラスコの中を見つめていれば、誰が見ても「研究者」に見えるでしょう。でも、人文科学や社会科学の研究者が分厚い原書を広げ、気難しい顔をして読んでいるだけでは、本人は研究者を自認していても「透明人間」のようなもので、周りの者に気づいてはもらえないかもしれません。見えるようにするには、透明人間が「コートを着て帽子を被った」ように、「研究者」と書いた名札を首からぶら下げればいいのです。

 

 大学の先生にとって研究と教育は仕事の両輪のはずです。大学教員という立場にありながら研究論文を書いたことがない先生が増えていると聞きます。自分の専門分野を持ち、学生を指導しながら一緒に研究活動をしていれば、研究とはどういうもので、何をするのかなんていうことは説明しなくてもわかります。研究者」と書いた名札を首からぶら下げるということはそういうことです。透明人間のままでは研究者の姿は見えません。「目の前にいるのに見えない」のは、学生に見る目がないだけでなく、研究者の側にも責任があると思います。


 認知機能検査を受ける後期高齢者の言いたい放題で顰蹙を買いそうなので、最後にちょっと真面目な話をします。「国から研究費助成を受けている研究者は、国内外を問わず、全ての研究資金の受け入れ状況を開示するよう政府が決定」し「研究者が虚偽申告をしたら、研究資金の返還要求や応募制限がかかる」とのこと。今は「研究資金」の受け入れに限定していますが、今後「研究内容」にまで網がかけられるようになったら、ちょっと恐ろしいことになりそうですね。もっとも、今だって研究助成申請の段階で内容はチェックされているといえばそれまでですが。(イデちゃん)