idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

新聞の読み方が変わる

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近くの自然公園は野草の宝庫(イデちゃん)


 新聞の読み方は人それぞれで、読む人の数だけ読み方があるかもしれません。私は最初に1面に目を通し、トップ記事を読みます。関連記事の掲載ページが記されていたら、そこに飛んで記事の幅や奥行きを掴みます。次に最終面の1ページ前(全24ページなら23ページ)に飛びます。トップ記事の解説や関連記事がここに載っていることもありますが、大概は「昨日の出来事」で構成されおり、内容はテレビやラジオと競合しています。このページの記事を「3面記事」と言うのは、新聞が4ページ構成だった頃、1面・2面で政治・経済関係の硬い記事を扱い、3面には社会(世間)で起きた事故や事件を載せた名残りだと聞いたことがあります。 

 それから、2面に戻って、順番に各ページに目を通してから社説や解説を読み、最後に1面のコラムを読みます。面白い特集が掲載されている時は、午後、改めてゆっくり読むことにしています。

 

 以前、役所で仕事をしていた頃は、A,Y,M,S,N,Tの各紙の全ページに1時間以内で目を通していました。「読む」と言うより「見る」という感じです。学生が教わった「見出しで全体をつかみ、写真やグラフなどでイメージをふくらまる」方法とよく似ています。社説やコラムも一通り目を通して、気になるものは時間がある時に、丁寧に読むようにしました。

 その時に注意したことは同じ題材を扱った各紙の論調の違いです。会社によって捉え方や評価が異なり、記事の内容や組み立てにも違いがあります。一つの出来事の表裏を読んで、見方や考え方の幅を広げるようにしました。特に議会開催中は、議員から記事に関連した質問が出されることが予想され、答弁の準備が必要でしたから、必ず全紙に目を通すようにしました。

 

 30余年ほど前、私は八丈島の小学校の校長をしていました。東京から約300km離れた島に、新聞は毎朝、飛行機で運ばれてきます。最初の便に乗せられてきた朝刊が私のところに届くのは正午過ぎです。天候が悪くて飛行機の欠航が続くと、数日分まとめて配達されることになり、新聞が「旧聞」になってしまいます。そんな訳で、島に来てから新聞の読み方が以前と変わりました。ニュース記事よりも解説や特集、シリーズ物をよく読むようになったのです。これらは速報性を主眼としていませんから、一日二日届くのが遅れても情報としての価値が減るわけではありません。島外の出来事を早く知りたければテレビがあります。遅配のもたらすタイムラグが新聞の読み方を変えました。

 

 子供の頃、最も身近な「知の泉」は新聞でした。プロ野球日本シリーズの記事の中にあった「覇権」という文字の読み方と意味を父に教わったことを覚えています。「打率」の意味と計算方法を知ったのも新聞です。私にとって新聞は国語辞典であり、算数の教科書でもあったのです。学校で教わる以上のことを新聞から学びました。

 最近の若者は新聞を読まなくなったと聞きます。若者だけではありません。電車の中で新聞を読んでいる人を見かけることもなくなりました。シートに腰を下ろして辺りを見渡せば、10人中9人がスマホの画面を見ています。新聞に求めるものや読み方が変わり、生活の中から「新聞を読む」時間が消える日が来るかもしれません。(イデちゃん)