1行から広げた100字の書評
学生の書いた「1行から広げた100字の書評」を読んでみたくなりました。「1行から広げた100字の書評は空想や想像を含んでいて、一冊を読んで描いた書評に勝るものではない」という指摘もわかります。「1行だけでは全体がわからない」と言いたいのでしょう。著者が読んだら「おいおい、全部読まないと俺の言いたいことが理解できないよ」と言いたくなるかもしれません。
「ギョエテとは俺のことかとゲーテいい」と斎藤緑雨が言ったと伝わっていますが、本物のゲーテが聞いたらなんというでしょうか。
勝つか負けるかはともかく、1行から広がる「空想や想像」は書く人の経験や読書歴等によって異なるのは当然です。持っている情報の質と量の違いが「空想や想像」の範囲や奥行きに表れます。100字の中に表された学生の想像力を知りたいと思いました。
ところで、次のような1行を読んで、今時の学生はどんな書評を書くでしょうか。ぜひ読んでみたいですね。
*「ひとつの妖怪がヨーロッパを歩き回っている――共産主義という妖怪が」
*「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ」(夏目漱石「草枕」新潮文庫)
最近、何人かの知人から自著をいただきました。自費による出版で何百部か作ったものを友人知己に送ったと記されていました。
退職後、自分の仕事を振り返り、書いたことや考えたことをまとめて出版する元校長先生が少なからずいます。職業柄、こうした自著をよくいただくのですが、正直に白状すると、この手の本に面白いものはあまりありません。月曜朝会の講話をまとめたものとか、研修会の講演資料のようなものもありますが、大方が自慢と説教とうんちく話の連続です。教師たるもの生涯に一冊は自著を出したいと思うのは結構なことですが、2冊目は遠慮したくなります。
今回は違いました。句集です。折々の子供の情景を17文字の中に詠み込んだものが多く、教師としての自分の人生を映し出しています。著者の人柄が感じられ、とても気分のいい本でした。
「本が売れなくなった」と馴染みの編集者の嘆きをよく聞きます。売れなくなったとはいえ、毎年数万点の本が出版されています。総務省統計局の書籍新刊点数によれば、平成28年度75,000、29年度73,000、30年度71,000、令和1年71,000と、毎年70,000点以上の本が出版されているのです。それらはどこに収まっているのでしょうか。昔、初版3000部と言われた時代がありました。「今は初版売りきったらベストセラーですよ」という彼の自嘲に妙なリアリティを感じました。
新聞最下段の出版案内欄に馴染みのない出版社の本が並んでいます。失礼ながら著者もどんな人かわかりません。5000円を越すような高い本もあります。本のタイトルや紹介文を読みながら、この本売れるのかな、誰が読むのだろうと他人事ながら心配になります。学生が読んで「1行100字書評」を書いたら、なんと書くだろうかと、つまらないことを考えてしまいました。(イデちゃん)