idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

みんなと同じがいい

 

f:id:Question-lab:20210613203049j:plain

ねずみもちの花にしがみついて蜜を集めるハナムグリ

 「では、みんなで話し合いましょう」って先生はよく言います。「グループになって話し合ってください」。ほんとに先生は話し合いをさせることが好きですね。子供は話し合うことが苦手です。何を話し合えばいのかわかりません。子供に言わせれば「ヒソヒソ相談することは得意だけど、話し合いって質問したり、意見言ったり、まとめたり、発表したりしなければいけないから面倒」なことで先生が思っているほど必要は感じていないかもしれません。

 

 中央教育審議会で「主体的・対話的で深い学び」について議論されていた頃、中教審は「対話的な学び」について「自分と他者の意見や考え方を比較したり、自分だけでは気付くことが難しい気付きを得たりしながら、考えを広げたり深めたりできるようにする」(中央教育審議会答申 平成2812月)と説明しました。

 

 これは日本の子供(子供だけではないね)が一番不得手とするところです。正解を素早く見つけることを優先し、面倒な議論はしたくない。自分の意見を言うと「押し付けている」と受け止められ、「他に意見はないですか」と聞いてもみんな何も言わない。肝心の問題を解決することより、雰囲気を壊さないように、気まずい感じにならないようにすることに気を遣う。こうした気遣いは「狭い共同体の中で平穏に生きていくための知恵」だとすれば学生が議論を避けるのも当然かもしれません。

 

 学校はみんなと同じにすることが大好きです。「きまりを守りなさい」「みんなと一緒にしなさい」「静かに聞きなさい」「勝手なことをしてはいけません」あげればキリがありません。そもそも学校というところは「みんなとうまく付き合っていくことを学ばせる」ところですから、そうやって育てられた子供たちに「自分の意見を言え」とか「意見をぶつけ合え」と言っても「そんなふうに育てておいて、勝手なこと言わないでよ」と叱られそうです。

 これは「学び方」を変えるだけでなんとかなる問題ではないように思います。これまで学校が守ってきた「みんなと同じ」にすることが一番大事という価値観を変えない限り、「主体的・対話的で深い学び」をいくら主張しても、所詮「学び方」に止まり、「生き方」の改革まで届かないかもしれません。

 

 文科省は校則を見直せと言い出しました。「自分と他者の意見や考え方を比較したり、自分だけでは気付くことが難しい気付きを得たりしながら、考えを広げたり深めたりできるようにする」ことの大切さに気づいたのでしょうか。それとも「校則」の改革レベルの議論なのでしょうか。

 

 今日は亡き母の七七忌の法要でした。(イデちゃん)