idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

「みんなと同じ」は「みんなのため」

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主がいなくなっても今年も忘れずに咲きました(イデちゃん)

 「きらりと光る自分でいたい。でも、みんなの和を乱すようなことはできない」という微妙なバランスの中で、「ちょっとだけみんなと違う」ところをさりげなく表すのはかなり高等なテクが必要です。

清少納言のようなレベルの知性であれば、好きも嫌いも世辞も嫌味もさりげなく表現して、「後は読み手のご自由に」と高みの見物でもしていられるのでしょうが、浮世の凡人たちが真似るには少々荷が勝ちすぎます。だから、何か言いたいことがあっても「それを言ったらオシメーよ」ということにならないように、せいぜい「雰囲気を悪くしない程度の意見」に止めて、自分も相手も嫌な思いをしなくて済むように「心配り」をするしかありません。

 

 「なぜこんなことになっているのでしょうか」と改めて問われると言葉に詰まります。前に書いたように学校は「みんなとうまく付き合っていくことを学ぶ」ところですから当然の帰結というしかありません。もちろん学校は悪意を持ってそんなことをして来たわけではありません。社会に出て困らないように、ちゃんと生きていくことができるように、子供のために良かれと思ってそうして来たのです。

校則の見直しが求められています。議論の中では頭髪の色や長さ、スカートの丈や靴下の色など「こんな決まりは時代錯誤」とか「常識はずれ」とか批判されています。なぜそんな決まりを作ったのかと言えば、それはひとえに「児童・生徒の健全な成長のため」にほかなりません。(影の声「学校の都合と体裁のためでしょ」) 「みんなと同じに」という善意に満ちた価値観を生徒も先生も学校全体で共有することよって、学校はその役割を忠実に果たして来たのです。

 

 少しばかり大袈裟に書きましたが、露悪的にすぎたでしょうか。いずれにしても、その片棒を長く担いで来た自分も同罪で、責任は免れません。反省の気持ちを込めて「考える先生」育成に力を注ぎ、これまで学校が守ってきた「みんなと同じ」にすることが一番大事、という価値観を変えていかなくてはならないと改めて思いました。(イデちゃん)