idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

習うより慣れろ

 

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小諸出て見よ 浅間の山に 今朝も煙が三筋立つ(小諸馬子唄)

  久しぶりに近くの中華料理店に食事に行きました昼時は混雑するだろうと思って少し早めに行ったのですが、すでに満席に近い状態で、案内された席は窓際の二人用のテーブルでした。席に着き、見るともなく店内に目をやると、家族と思しきグールプがいました。注文した料理が出来上がるまで、耳に入る声を聞いていると、どうやら今日は「父の日」ということで家族揃って食事に来たようでした。「そうか、今日は父の日か」と独言しながら、改めてさりげなく周りに目をやると、それらしき組み合わせの席がいくつもありました。

 

 そういえば母の日は5月の爽やかな季節にあるのに、どうして父の日は6月の梅雨時にあるのでしょうか。今日は幸い晴れましたが、大抵、いつも雨降りの日のような記憶があります。対面に座る家人に「お母さんはいいね。母の日はいつも晴れた日で」というと「何が言いたいの」と怪訝な顔をされました。

 

 食事が終わって、支払いをするのはどの家族も「お父さん」のようでした。ズーッと昔、某新聞に連載していた「フジ三太郎」(サトウサンペイ作)という漫画がありました。私は大ファンで、毎日切り抜いて取っておきました。その中に、フジ三太郎が父の日にお土産を買って帰り、喜ぶ我が子の顔を見てつぶやく場面があります。「ああ、父は与えるばかり」と。 支払いをする父親(多分)の後ろ姿を見ながら、その場面を思い出していました。そういえば、昨日は悲しい父、太宰治の桜桃忌でしたね。

 

 ミナ先生の悩みは深そうですねえ。「知の大海を、自分の質問力をフルに使って泳ぐワクワク感。でもそれを陸上で伝えきれたか」という実直な反省に水をぶっかけるようで気が引けますが、年寄りの嫌味を一言。それは「畳水練」というやつではありませんか。

  それでも水に入れば「こんなはずではなかった、畳の上ではちゃんとできたのに」と考え直すかもしれませんが、入る前から心配している学生に「大海」で泳いでみろと勧めても尻込みするばかりでしょう。彼らは「井の中」どころか「金魚鉢」からすら出たことがないかもしれません。

 

 水泳の苦手な子供が嫌がることの一つに「顔を水につけること」があります。顔を水につけると息ができません。その恐怖感を取り除いてやらないと先に進めません。よくやる方法は洗面器に水を汲んで顔をつけ、そのままブクブクと息を吐くといった練習です。以前は水の中で目を開けるように教えたこともありましたが、最近はゴーグルを使います。これだけでも顔を水につける恐怖心を大幅に減らすことができます。学生に洗面器とゴーグルを用意させたらいかがですか。

 

 「何!そんなことをしていたら間に合わない。大体、小中学校や高校の段階で、ちゃんとまとまった文章を書く学習をしてこなかったから、大学で苦労することになるのよ」と怒りの声が飛んできそうです。それを承知でいうのですが、洗面器からお風呂、浅い水溜りへと順番に慣らしていくのが近道かもしれませんよ。「習うより慣れよ」っていうじゃありませんか。

 こんな学生に育てた責任を棚にあげて、勝手なこと言ってごめんなさい。(イデちゃん)