idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

努力と才能

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今日は何にしよう。至福のひととき(マツミナ)


 「質問力を磨く(Class Q)」では毎回、授業最後に学生がリフレクションシートを書きます。授業での学びを振り返る時間です。その記述から、学生の心に何が響いているのかを読み取ることができます。

 先日のリフレクションシートでは、多くの学生が「才能」と書き込んできました。授業中に話題の一つとして紹介した「僕の『自学ノート』」(梅田明日佳著、小学館)に反応したようです。

 好奇心が学びの原動力になることを、著者の大学生、梅田さん自身の体験を通して楽しくつづっている本です。「自学ノート」は、小学校3年生の時、学校から宿題として課されたのが始まりとか。気になった新聞記事を切り抜き、感想を書くだけでしたが、そのうちに疑問に感じたことを調べたりするうちにどんどん世界が広がっていったようです。

 学生の受け取り方はさまざまでした。

 「結局才能だ。努力するにも才能がいるし、地頭が良いという才能がある人はさらに登りつめることができる」

 「一般的な教養をある程度身につけてから新聞を読む方が効果的なのではないか。小学生が毎日、新聞記事を読んで感想を書く必要はない。…才能を持つ人は、幼い頃からたくさん興味を持ち、深く掘り下げることもできるかもしれませんが、一般人はそうではないです」

 「『才能の差』は若干ある。若干だ。この授業で求められているものは、先天的に優れた力を与えられた人にしかできないことではない。努力次第でどうにでもなることだ。だから私は自分の成長を実感し、授業を取り続けている」

 

 授業では、こうしたコメントを毎回「みんなの学びから」として紹介しています。もちろん、名前は伏せて。今日(6月25日)の授業で紹介したところ、またしてもたくさんの「才能」が紙上に登場しました。

 「『才能』を盾にする人間は、そもそも努力をしていないから嫌いだ。努力しようともしない人に『才能』を語る資格はない。才能の差は努力で埋められると考えている」

 毎回の授業で自らの課題を設定し、達成状況をリフレクションシートに書き込んでいる学生だからこそのコメントです。

 「『彼は才能があっただけ』という意見に僕は反対だ。小さい能力の差は努力の積み重ねの差だと考えるのに、大きい能力の差を見ると才能という言葉に逃げる人をたくさん見てきた」 

 この学生自身、「あいつは才能があるから」で自分の努力不足を棚にあげたこともあったと素直に書いていました。ところがある日、Class Qで1年以上学び続けている学生とチームを組んだことが大いに刺激となったようです。「彼らが課題に粘り強く取り組む能力は積み重ねの成果。これから積み重ねを続け、いずれは今の彼らを超えていきたい」

 「才能」という言葉をどう受け取るかは、学生の来し方だけでなく行く末ともかかわるかもしれません。(マツミナ)