idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

努力は才能に勝る

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桔梗は秋の七草のはず。「咲くのハヤクネ?」(若者のアクセントで)


 「努力」か「才能」か。誰もが一度は考える問題です。不思議なことに「自分の努力」と「他人の才能」を比較して論じることが多く、その反対はあまり見かけません。「自分の才能」と「他人の努力」を比べると自慢話になってしまうからでしょうか。考えた末は大概のところ「努力に勝る天才なし」とか「努力に勝る才能なし」とか言ったあたりに落ち着くようです。「才能に勝る努力なし」では「身も蓋もない」話になってしまいますからね。

 

 「質問力を磨く(Class Q)」の若者と、努力の体現者のような老人の仮想対話を通して「努力」と「才能」について考えてみます。

 

学生A「結局才能だ。努力するにも才能がいるし、地頭が良いという才能がある人はさらに登りつめることができる」

老人「長嶋? あぁ、あれはもう天才だ。それ以外、何もいうことはねえや」

学生B「『彼は才能があっただけ』という意見に僕は反対だ。小さい能力の差は努力の積み重ねの差だと考えるのに、大きい能力の差を見ると才能という言葉に逃げる人をたくさん見てきた」

老人「世の中、『努力=結果』ばかりじゃない。でも、努力しなけりゃ確実に結果は出ないんだよ。」

学生C「『才能』を盾にする人間は、そもそも努力をしていないから嫌いだ。努力しようともしない人に『才能』を語る資格はない。才能の差は努力で埋められると考えている」

老人「『才能がない』ってのは、甘美なる逃げの言葉だ。それくらいなら、他人を妬んでもその感情を『なにくそ!』と力に変えるほうが人を成長させるんじゃないかね」

 

 お気づきの方もいるでしょう。「老人」とは野村克也氏です。高卒でテスト生としてプロ野球に入り、首位打者1回、本塁打王9回、三冠王にも輝いた。現役引退後、ヤクルトスワローズ監督、阪神タイガース監督。東北楽天ゴールデンイーグルス監督を務めました。(発言と経歴はPRESIDENT Oline 2019年11月1日号参照)

 

 こうしてみるとやっぱり「努力」は「才能」に勝るというところに落ち着きそうですね。他人の数倍も努力をして結果を残した人の「努力しなけりゃ確実に結果は出ないんだよ」というセリフは、未だ成仏できずにいる私にもずっしりと響きます。

 ところで、今シーズン、ニューヨーク・ヤンキースから東北楽天ゴールデンイーグルスに復帰した田中将大投手が新人当時、「マー君神の子不思議な子」と評した野村監督の本音はどこにあったのか知りたいと思いませんか。もしかしたら、「努力しなくても確実に結果を出す」若者に対するジェラシーだったのかも。そうだとしたらもっと野村さんを好きになってしまうなあ。

 

若者D「…才能を持つ人は、幼い頃からたくさん興味を持ち、深く掘り下げることもできるかもしれませんが、一般人はそうではないです」

老人B「諦めるのはまだ早い。手本は君の隣にいます。気付けよ、さらば叶えらえん」(イデちゃん)