idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

幽霊の 正体見たり 枯れ尾花

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梅雨の傑作(イデちゃん)

 台風が北上してきているようで、定まらない天気の日が続きます。停滞する梅雨前線を「線状降水帯」とかいうやっかいな代物が突っついてくれないように願うばかりです。

 早朝、家の周りを散歩していて巨大なキノコを見つけました。枯れたクヌギのカブの根元にいつの間にか生まれていました。いつもはカブトムシやクワガタを探す親子を見かけるのですが、さすがに月曜日の朝からそんな時間はないようで、暇な老人は一人で大騒ぎして写真を撮りました。長径約60~70cm,短径30~40cmで名前は不詳。

 

 

 6月24日の「記述式問題の導入は困難」で「受験生の『思考力・判断力・表現力』を問う問題をシステマチックに解析し、(略)そうした処理技術を駆使した技法で書かれた答案は、おそらくどれも似たような標準的な内容・構成になることが予想されます。そうなれば記述式問題を出題する意味がなくなってしまいます」と書いたところ、知人からこんな指摘をもらいました。

 

 「記述式問題の出題意図は論理的表現能力を測ることにあるのだとすれば、問題の処理技術を駆使して書いた論文のどこがいけないのでしょうか。論理的表現と論理的思考は表裏の関係にあり、論理的ということは構造的、つまりシスティマチックということでしょ。ですから、あなたが指摘する『どれも似たような標準的な内容・構成になる』のは当然の帰結です。出題の意図は『創造的・個性的な表現』を求めているわけではありませんから『記述式問題を出題する意味がなくなってしまう』という指摘は当たらないのではありませんか」

 

 つまり「創造的・個性的な内容」を「論理的に記述」することを求めているのではなく、与えられた問題を「論理的に思考・判断」して、答えを「論理的」に記述せよということだから、答えが「金太郎飴」になってもいいわけですね。そういえば、新しい高等学校学習指導要領で新設された「論理国語」では「論理的な文章や実用的な文章」を扱うことになっていますが、どちらも読者が内容を勝手に個性的・独創的に解釈したら困る文章です。

 ということは「思考力・判断力・表現力」を問うなどと一見高邁なことを言っているけど、大学入学共通テストで問いたかったのは「書いてある通りに正確に理解し、表現する能力」で、言い換えれば「決められた手順に従って(余計なことはしないで)、考え、判断し、論理的に表現する能力」ということだったのですね。

 そうだとしたら有識者会議が「マークシート方式の共通テストで思考力や判断力を問えるような作問の工夫を求める」と言った理由がよくわかります。手順に従って答えるのはマークシート方式の得意とすることですから。

 なんだ、そういうことか。「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」でした。真面目に考えて損した気分だな。(イデちゃん)