idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

幽霊の正体その2

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庭のギボウシ(イデちゃん)

 「授業時数特例校制度」を導入して、小中学校は各教科の最低基準「標準授業時数」を「学校裁量」で最大1割まで減らし、別の教科に上乗せできるようになるっていうけれど、へそ曲がりの爺様にはなんだか胡散臭い話のようにしか聞こえません。主旨説明では「教科横断的な視点」とか「探究的な学習活動の充実」、「カリキュラムマネジメントに係る学校裁量の幅の拡大」といった何やら小難しい用語を並べてもっともらしく解説しているけれど、特例校に認められる学習内容を見ると「胡散臭さの正体」が見え隠れしています。続「幽霊の正体見たり枯れ尾花」といきましょうか。

 

 説明資料によれば特例が認められる内容は「現代的な諸課題に対応した教育(伝統文化教育、主権者教育、環境教育等)」「学習の基盤となる力(言語能力、情報活用能力等)の育成」の二つです。

 前者は今さら「現代的な諸課題」などと大上段に振りかぶらなくても、もともと「総合的な学習の時間(総合)」の定番分野だったのではありませんか。それに「教科横断的な視点」とか「探究的な学習活動」は「総合」の「専売特許」とも言えるような学習活動のはずです。設置当初110時間もあった「総合」の時間を大幅に減らしておきながら、今度は「探究的な学習活動」のための時間を「つまみ食い」で生み出そうっていう魂胆ですか。

 後者は文科省の資料によれば「2020年春以降実施の新学習指導要領では、AI(人工知能)の発達など予測困難な社会で通用する力を育成することが求められている」ためのようです。しかし、新学習指導要領で増加した学習内容を消化するために学校は手一杯で、これ以上授業時数を増やすことは困難です。そこで「学校裁量」で他教科の授業時数を「つまみ食い」して、「予測困難な社会で通用する力」となる「プログラミング」とか「英語」とかに回してもいいですよって言っているように聞こえるのです。「下衆の勘ぐり」でしょうか。

 

 学校が独自に編成する例として「伝統文化教育に取り組む場合、音楽や美術を増やし、言語能力の育成では、国語と社会を増やす授業編成が考えられる」(文科省説明資料)などと殊勝なことを言っていますが、算数・数学や英語の時数を削って音楽や美術に回したり、理科の時数を1割減して社会に回したりするなんてことが実際に行われるでしょうか。だって「伝統文化教育の充実のために算数削って音楽にします」と言っても保護者が納得するとは到底思えないし、これまで「理科離れ」だの「科学教育振興」だのと声高に叫ばれても、「社会科教育振興」なんて掛け声は聞いたことがないからです。どうやら幽霊の正体が見えてきたようですね。

 

 ところでミナさんは「文科省が『質の高い教職員集団』と見ていない学校」に、大事な授業時数に関する裁量を委ねることに矛盾を感じているようですね。私はあまり心配していません。今の学校が決して「質の高い教職員集団」とは思いませんが、文科省が何か新しいことを打ち出しても、しばらくすると「学校裁量はこうすればいい」とか「特例カリマネ事例集」なんて「アンチョコ」がすぐ出されるからです。

 来年の校内研究の目玉は「授業時数の弾力化とカリキュラムマネジメント」になりそうですから、年末まで待っていれば実践事例と関係資料が出揃うはずです。多くの学校は「我が校はそれから始めたって遅くはない」と思っていることでしょう。それに学力調査の結果次第では「学習の基盤となる力」だって変わるかもしれないでしょ。なんたって「予測困難な時代」ですから。(イデちゃん)