idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

劣化の上積み

 

 

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朝どり早稲田茗荷今年の初物(イデちゃん)

 「うわずみ」の「劣化」ですか。ということは「うわずみ」の下に沈んでいる「沈殿物」は「くず」ということになるのでしょうか。いえいえ、どうして「葛粉」のように器の底に溜まった白い粉が大切なものもありますよ。とんだ「くず」違いでした、なんてふざけている場合ではありません。「人材の劣化」は由々しきことです。

 

 「面接対策がバッチリ。面接者も聞きほれるような対応ぶりのようです。考え込むような問いを出しても、なんなくすっと答える」ということですが、採用試験、特に面接試験に向けた対策の「行き過ぎ」は企業の採用試験だけに限ったことではありません。あえて「行き過ぎ」と書いたのは長年、教員の採用や管理職の任用人事に関わってきた私の実感です。徹底的に練習を繰り返し、滑稽なほどステレオタイプ化した回答をする受験者を相手にしていると、たまには意表を突く意地悪な質問をしたくなることもありました。

 

 それはさておき、最近は教員採用試験準備のための「塾」があると聞きました。「お辞儀の仕方」や「椅子にかけた時の手の位置」「質問の聞き方」や「答え方」などは序の口で、「面接会場の待機場所での振る舞い方」などというのもあって「面接は会場についた時から始まっています。いつどこで誰が見ているかわかりません。待機している時も気品のある態度で」と教えるのだそうです。ほんまかいな。

 確かに今の学生は「礼儀がなっていない」(今に限らず半世紀前の学生も同じことを言われたけど)から、それくらい指導しないと受からないと心配する気持ちもわからないではありませんが、肝心の「専門知識が身に付いていない学生」の外面磨きを手助けすることになるようでは「うわずみの劣化」どころか「劣化の上積み」になってしまいます。

 

 以前「『このままでは教員の必要数が不足する。この際、採用試験を簡単にして誰でも教員になれるようにすべきだ』という主張が新聞に載る日が来ないとも限りません」(2021-6-1「採用試験のレベルを下げろ?」)と書きましたが、「うわずみの劣化」がさらに進めば、教員の質の低下を防ぐために「小中学校の教員採用も『日本人学生にこだわらない』で、海外の優秀な人材を積極的に採用しよう」という声が大きくなるかもしれません。臨時的に任用された外国人の非常勤教員に優秀な人材が少なくないことはすでによく知られているところです。それとも、「優れた『日本型学校教育システム』を支えていく」ためには、やっぱり「日本人の先生」でなければダメなのでしょうか。(イデちゃん)