idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

真剣勝負

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アガパンサスの花粉を集めに来たミツバチ

 「何回留年した学生でもかまわない。しっかり学んだ人だけを出してほしい」という要望は、その企業が採用したい人材像が明確で、「学んで身につけた力」に対する期待が大きいことの表れだと思います。

ところで、なぜ「入社後に大学で学んだことを試験」するのでしょうか。これは結構、意味深な仕組みのように思います。もちろん採用した「学生の能力」を確認するためではありますが、それだけではないはずです。入社後に試験をすることによって、採用時の評価が適切であったかどうか、つまり「人事担当者の評価能力」も測られることになるからです。採用試験、特に面接試験を「受験者と面接担当者との真剣勝負」などということがありますが、「採点する側」も採点されるわけですから当然のことです。

 

 「日本の大学は評価が甘い」という指摘は以前からよく聞かれるところです。文科省も看過できないと見ているようです。

「これまでの我が国の大学に対する評価の中に、大学では適切な卒業認定が行われておらず、学部卒業者として期待される教育内容がきちんと身に付いていない場合があるのではないかとの指摘があります。大学は人材養成の役割を担うことから、そうした指摘を受けることがないよう、学生に対して教育目標を明示し、その目標に向けた計画的な学修を可能とする環境を提供した上で、適切な成績評価・卒業認定を行うことにより、学生の卒業時における質の確保を図るという充実した教育活動を行うことが、大学の社会的責務として求められています。」(「大学における教育内容・方法の改善等についてQA文部科学省H P

 

 さて、学期末を迎え、受講学生の課題提出状況を前にミナ先生は苦悩しています。「一定の量をこなして初めて成績評価の対象にすると明示」し、「授業中にもその旨を繰り返してきた」にもかかわらず、最低基準の回数をクリアーしていない学生の評価をどうすべきかと。

 「何回留年した学生でもかまわない。しっかり学んだ人だけを出してほしい」という要望に応えるためには厳しく評価した方がいいことはわかっています。一方で、「何のために回数を指定したのか」、その意図が学生に十分伝わっていなかったのではないかという思いもあるようです。

「学生に対して教育目標を明示し、その目標に向けた計画的な学修を可能とする環境を提供した上で、適切な成績評価」をすることは簡単なことではありません。

 学生の指導に真剣に取り組む先生ほど、学期末の苦悩は大きくなることと拝察いたします。(イデちゃん)