idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

周回遅れの読書

f:id:Question-lab:20210803201613j:plain

公園の朝、ラジオ体操に集う(イデちゃん)

 最近はなるべく新しい本を買わないようにしています。近くにある書店に行き、新聞に書評が載っていた新刊をパラパラとめくってみたりすることはありますが、買って帰ろうという気持ちになりません。食欲(読欲?)がわかないのです。

 家に帰れば、いつか読もうと思って買っておいた本がたくさん本棚に眠っています。買って帰っても、そんな本がまた増えるだけなのです。あと何年、本を読めるかわかりませんが、死ぬまで読み続けても十分なだけの量はあるでしょう。

 

 それでは最新の情報や学説を学ぶことができないではないかと思われるかもしれません。でも、1年前の情報が陳腐化するような時代です。遅れないようについていくのは容易なことではありません。老化した脳みそには無理です。それで、仕事をリタイアした時、ついでに変化を追いかけることを止めました。以来、1年以上経ちましたが大して不自由は感じていません。「周回遅れ」でついて行く気楽さもいいものです。ゆっくり本が読めますから。

 

 先日、ずっと以前に買った1冊を本棚から取り出してパラパラめくっていると、頁の間から古い領収書がはらりと落ちました。インクの色が落ちてはいますが、日付や書店名はしっかり読みとれます。今はもう閉店してしまった書店です。そんな領収書を見ていると、この本を買った頃のことがあれこれ思い出されて、タイムマシンに乗ったような気分になりました。「周回遅れ」の読書だからこそ得られる「いい時間」です。

 

 読書感想文は、子供からも先生からも敬遠されているにもかかわらず、相変わらず夏休みの宿題に出されているようです。感想文を書かされるという負担感が、子供を読書から遠ざけているとすれば本末転倒です。聞くところによれば夏休みの宿題を請け負う業者がいて、読書感想文の代筆までやってくれるそうです。それもただ書くのではなく、依頼者の求めに応じて、「その子らしく」書いてくれるというのですから恐れ入ります。

 感想文の代筆には与しませんが、本を読むことの楽しさや学ぶ喜びをじっくり味わうことができるように、「感想文恐怖症」や「めんどうくさい症候群」から子供を解放してあげることには賛成します。

 

 今年の夏は異常な暑さです。周回遅れの爺様はオリンピックの喧騒から離れて、涼しいところで「いつか読もうと思って買っておいた本」をゆっくり読みたいと思います。もしかしたら古い領収書ではなく、へそくりの万札でも出てくるかもしれません。(イデちゃん)