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屋根のない学校をつくろう

宰相の品格

 

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夏その2(イデちゃん)

 読みっぱなしで積んでおいた本を引っ張り出しては読み直しています。第32代総理大臣を務め、東京裁判で戦争責任を問われ広田弘毅の生涯を描いた小説「落日燃ゆ」(城山三郎・新潮社)を読みました。広田は裁判で絞首刑の判決を受けた7人の中で唯一人の文官でした。裁判の過程で一切の自己弁護を行わなかったそうです。

 この本は一国の宰相たるものに求められる「知性・品性」とはどんなものかということを知ることができます。小説ですから、書かれていること全てが真実かどうかを知るためには他の資料も読み比べる必要がありますが、それでも城山の描く広田の生き方には改めて共感することが多くありました。

 

 知性は生き方に反映され品性となって表出します。品性に裏打ちされない知性はただの「物知り」に過ぎず、知性と品性が融合して品格に昇華するのではないか。広田の生き方にはそんな気持ちにさせるものがあります。敵対する相手国の駐日大使や極東担当からも信頼されるほどの高潔な品格は国内の反対勢力からも一目置かれ、「落日燃ゆ」にはそんなエピソードが度々登場します。

 

 2.26事件直後、組閣を命じられた広田が抵抗する軍部を相手にやり取りする場面を城山はこんなふうに書いています。

「しばらくして寺内から電話があった。『今から特使に持たせてやる一文に賛成してくれるなら、明日の組閣に賛成する』」。特使が持参した声明文なるものはお粗末なものだったので、広田は「その声明文に手を入れて、寺内*に届けさせ、ようやく話がついた」

(*寺内寿一大将・陸軍大臣候補)

 さりげなく書かれていますが、軍部の権勢を背景に広田の組閣案に難癖をつける声明文に「手を入れ」て、体裁を整えて返してやるなどという芸当は、当時の世相を考えれば余程の度胸がなければできることではありません。それこそ宰相に求められる品格というものでしょう。

 

 それに比べ、昨今の宰相の言動は言い訳や言い換え、挙げ句の果ての「読み忘れ」まであってお粗末の極みです。品格はもとより知性も品性も感じられません。広田弘毅の全てを無批判に肯定するものではありませんが、夏休みにお読みになることをお勧めいたします。せっかく書いてもらったご挨拶を読まずに飛ばしちゃったスーちゃんも、しろやぎさんからきたお便りを読まずに食べちゃったくろやぎさんも、ちゃんと読まなくてはダメですよ。(イデちゃん)