霞ヶ関文学
今日は朝から、役所関係の会議や打ち合わせが続きました。
毎回、うんざりするのは、そこで示される文書です。霞ヶ関文学とも呼ばれる独特の文体で、やたらと一文が長く、カタカナが妙に多い。ガバナンス、イノベーション・エコシステム、コンプライアンス、フィージビリティー…。本当に読ませる気があるのだろうか。だんだん頭がしびれてきます。目もなんだかチカチカしてきて。霞ヶ関文学の狙いは、これか?
霞ヶ関ムラの皆さんもそれぞれ個性があって、会ってみると、熱い思いのある人だったり、思慮深い人だったりします。ところが文章を書くと、なぜだか一様に妙な文章を書いてきます。学生の論文だったら、書き直しを指示するところだ、と心の中で舌打ちしながらも、必死に読み、論点を整理していました。せっかくなら多くの人に読んでほしいし、関心を持ってもらいたい。
その一方で、頭に浮かんでいたのは八木重吉の詩。正確な表現も題名も思い出せないし、当然のごとく手元に詩集もない。
あれもならずこれもならずと思うから
今夜は食べ物のことばかり考えようとする
食べ物は悲しき避難所である
そうだよ、食べ物だ。終わるや否や、緊急事態宣言中ではあるけれど、近くのカフェへ。マンゴーパフェで一息つきました。
本日はこれにて終了です。(マツミナ)