おもしろうて やがて寂しき花火かな
このところ毎夜7時半頃になると、西の方角に花火が上がります。所沢にある遊園地が行っている夏の特別プログラムの一つのようです。我が家の入る建物の8階の廊下から多摩丘陵の上に広がる花火が目の高さに見えます。パッと開いてからしばらくして「ドーン」と音が聞こえてくる遠い花火です。頭の上で音と光が同時に炸裂する近間の花火と違って迫力に欠けますが、光に遅れて音がついてくる間延びした花火もそれなりに風流でいいものです。
「遠花火寂寥水のごとくなり」(風生)なんて句があったな、などと思い出しながら風に吹かれて眺めていると、突然、目の下の道路を救急車が走って行きました。「ピーポーパーポー」の警報音は、近づいてくる時と遠のいて行く時とで聞こえ方が違います。目の下を通り過ぎると甲高い音は途端に音程が下がり、間延びした感じになります。これは進行方向に進む音は波長が短くなり、反対に進行方向と逆方向に進む音は波長が長くなるために起こる現象で「ドップラー効果」というのだと高校で習いました。
同じ間延びでもこちらは風流なんてものではありません。遠ざかる警報音を聞きながら、「もし、あの救急車で運ばれた人が新型コロナウィルスの感染者だとしたら、搬送先の病院に受け入れてもらえるのだろうか」と心配になりました。
花火が終わり部屋に戻るとテレビで長岡の花火の特集をやっていて、花火の製作者が「中越地震に見舞われ大きな被害を受けた長岡の人々にとって、花火は鎮魂と供養の祈りでもある」と話していました。昨年も今年もコロナ禍で中止になり、8月の初めに観客席を設けずに規模を縮小した花火大会を長岡周辺の各地区で行ったそうです。地震で壊滅的な被害を被り、やっと復興を果たした山古志村の老夫婦が遠くにあがる花火を見ながら「早くコロナが収まって、また以前のようにみんなで長岡の花火大会に行きたいね」と話しているのが印象的でした。来年こそ復興を喜び鎮魂と供養の思いを込めた花火大会ができるといいですね。
ところで東京オリンピック2020のテーマは東日本大震災からの復興を世界に発信することだったはずです。東京を中心に行われた各競技を見て「復興五輪」を意識した人はどれほどいたのでしょうか。「原発はアンダーコントロール」と嘘をつき、「8月の東京は温暖で快適」と偽ってまで招致したものの、終わってしまえば遠ざかる救急車のサイレンのように間延びした記憶が残るだけになってしまったような気がします。
「おもしろうて やがて寂しき花火かな」 (イデちゃん)