辞めたいと思ったこともあるけれど
先日、4月に新任教員として採用され、晴れて「学校の先生」になった人たちの話を聞く機会がありました。
「子供たちの主体的な学びを支えることができるようになりたい」
「生徒とのコミュニケーションをよくして、信頼される先生になりたい」
「授業だけでなく、生徒指導や部活なども頑張りたい」
希望に燃えて先生になったものの、
「課題の提示や発問が適切にできないので授業がうまくいかない」
「生徒の話を聞いてあげたいと思っても忙しくて時間がない」
「授業だけでも大変なのに、慣れない部活指導でクタクタになってしまう」
現実は思った以上に厳しかったようで、
「大学で学んだ知識が役に立たない」
「生徒指導より保護者対応が難しい」
「非常勤講師や塾の講師の経験が通用しない」
といった泣き言も聞こえてきました。
「大丈夫、大丈夫。みんな初めはそんなもんだから。そのうち経験を積んでいろいろなことを覚えていけば大学の勉強も役に立つようになるし、子供のこともわかるようになるから。授業の腕前だって上達するよ。私だって…」と言いかけて言葉を飲み込みました。
私が駆け出しの教師だったのは50年以上も前のこと。あの頃は大学を出たばかりの未熟な若い先生の失敗を許してくれるゆとりや優しさがあった。それに比べ今は先生に対する期待や要望は無制限に膨らみ、不寛容な社会は少しの失敗も躓きも容赦なく責め立てるではないか。時代が違う――そう思い直したからです。
「思い続けてきた夢がかなったのに、こんなに苦しいのは何故だろう。自分の理想と現実があまりにも離れすぎていて何をどうしたら良いかわからない。毎日、子供の揉め事が続き保護者に連絡したり、忘れ物をしてくる子供や提出物をチェックしたり、事務仕事の多さに押しつぶされそうになる。ブラックと言われる意味がなってみて初めてわかった。でも、そんな時に支えてくれたのは周りの先生方です。子供にも助けられました」「辞めたいと思ったこともあったけれど、支えてもらい助けてもらってどうやら続けることができました」と、1学期を振り返る若い先生に「よかったね」というと、嬉しそうに頷いていました。私は改めて無神経な自慢話をしなくてよかったと反省しました。
コロナ禍のおさまらない中で2学期が始まりました。学校はますます多忙な毎日になることでしょう。また、辞めたくなるような場面に遭遇するかも知れません。若い教師がどのように育っていくのか追いかけてみようと思っています。「考える先生」を育てる手がかりがあるはずです。(イデちゃん)