idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

後半戦に入った「考える先生」プロジェクトの課題

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秋のキャンバス(イデちゃん)

 

 「考える先生」を育てるプロジェクトで、4月からT君の学校参観を引き受けていただいているS校長から次のような指摘をいただきました。

 「前半の学校観察では、自分自身の学校生活体験をもとにした気づきや問題意識が中心で、思考の深まりを感じさせるものにはなっていないと感じています。12月までの約10回の学校訪問も、これまでと同様に自由に観察する環境を提供するだけでよいのか少し心配になってきました。当初の計画の通り、中学校現場をフィールドとして提供するだけでよいのでしょうか。前期と同じことを続けていては、『考える先生』を育成するためのヒントはなかなか得られないのではないかと危惧しています」

 

 「前半の学校観察では、自分自身の学校生活体験をもとにした気づきや問題意識が中心で、思考の深まりを感じさせるものにはなっていない」のはなぜでしょうか。

 T君は参観校の生徒たちの様子を観察し自分の中学生の時と比較しています。気づきや問題意識は、当時とどこが違うかに止まり「なぜ違うのか」「なぜ変わったのか」というところまでは踏み込んで考えていないように思います。

 T君が参観するたびに書いているリフレクションシートには「僕の学校は制服だったので最初は慣れなかった」等の記述があります。T君は私服の生徒たちに違和感を覚えたようですが「なぜ制服ではないのか」考えた形跡はありません。制服の問題は日本の学校教育を考える上で欠かすことができない視点であるのですが、それについて自分で調べたり考えたりしてはいないようです。

 

 私は参観を開始するに当たり、S校長に「T君の質問にすぐ答えを教えないでほしい。その代わりに、なぜそういう疑問をもったのか尋ねてほしい。そして、二人のやりとりを繰り返すことを通して、T君自身に考えさせていただきたい」とお願いしました。

 ですから、T君が「なぜ制服ではないのか」とS校長に尋ねても、おそらく教えてはくれなかったでしょう。「考えてごらん」と言えばT君は考えたかもしれませんがS校長は「教えないでほしい」という私の無茶な注文を受け止めてくれました。

 S校長の「思考の深まりを感じない。このままでいいのか」という指摘は「考えさせるような働き掛けをする必要があるのではないか」という提案とも受け止められます。4月以来T君を見続けてきてくれたS校長の前期と同じことを続けていては、『考える先生』を育成するためのヒントはなかなか得られないのではないか」という危惧に応えるために対応策を考えなくてはなりません。

 

 課題を与え問題点を示して「考えなさい」と指示すれば、学生は考えるでしょう。でも、それではいつまでたっても「先生、卒論のテーマをください」という学生の状態です。「自分で課題を発見し、自分で答えを考える」学生をどうしたら育てることができるか。ミナさん、S校長、T君、そして関係する皆さんを交えて考えていきます。(イデちゃん)