idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

改めて「考える」を考える

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富山地方鉄道立山線(イデちゃん)

 

 「良い先生」と「いい先生」の違いはなんでしょうか。不思議なもので「良い」先生と漢字で書くと「厳格で指導力のある教師」といった感じに見え、「いい」先生とひらがなで書くと「人間味のある魅力的な先生」といった感じになりませんか。

 前回の「いい先生のモデル…」では、そこのところを意識して書き分けたわけではありません。T君のシートに「良い先生」と書かれていたものを、そのまま転記したのですが、ミナさんの指摘の通り「良い」なのか「いい」なのか、ちゃんと考えてみる必要があるかもしれません。

 

 ところで「『いい先生』は『誰にとって』という文脈の中で語られるときに、異なる像を結ぶことになる」と指摘されています。私も以前こんなことを書いていたことを思い出しました。

 「『いい先生』って言葉は、確かに『マジックワード』ですね。中身は人によって異なります。自分にとって「いい先生」であっても、他の人はそう思っていないかもしれません。『部活命』で盆と正月しか休まなかった先生を『いい先生』という人もあれば、受験指導の達人を『いい先生』ということもあります。道を踏み外しそうになった時に助けてくれた先生は一生忘れることができない『いい先生』でしょうね。

 『良い(いい)』」の基準は人によって違います。極端な言い方をすれば『いい先生』というのは『私』にとって『いい先生』であればいいのです。ですから『私』の数と同じだけ『いい先生』像はあるのです。それを一つにまとめて『いい先生のモデル』を作って、こんな先生になれというのは野暮な話です」(「悪貨は良貨を駆逐する」2021,4,7)

 

 今年度の「考える先生」育成プロジェクトの目的は「『考える先生』を育てるプログラムのプロトタイプ(原型)を創る」ことです。「考える先生」のモデルを作ることではありません。「考える先生」とは「考えることができる先生」です。ですから「考える」ことは手段であり目的でもあるのです。

 T君はこんなことを書いています。

 

 「S校長先生との対話の中で『考える先生』って何?と問われた時すぐに応えられなかった。また、『じゃあ、考えない先生って何?』と問われた時も全く何も言えなかった。自分の中にぼんやりとしている『考える先生』が何かわからないまま『考える先生』を目指していることに気付かされた。『考える先生』はA Iの進化が加速する予測困難な時代で子供たちを導ける先生というふうに答えたが『何を持っていれば導ける?どこへ導くの?』と問われ、これも答えに詰まった。ふわふわした雲のようなものを今までずっとつかもうとしていたのだ。『考える』ということ自体を自ら考えなくてはならない」。(6月24日付T君のリフレクションシートより)

 私も「考える」ということ自体を自ら考えます。(イデちゃん)