idematsu-qのブログ

屋根のない学校をつくろう

焦ったくても教えない

 

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秋深まる コキア色づく(イデちゃん)


 「考える先生を育てるプロジェクト」のこれからの課題を整理しながら、どうしたら「自分で課題を発見し、自分で考える学生」を育てることができるか考えています。

知人からの「今の学生に教えない、自分で考えろというのはキツくないかな」という問い掛けをミナさんは「ひょっとしたら『キツい』のは学生ではなく、周りの『私たち』かも。焦ったくて見ていられない、待っていられないからキツいのではないでしょうか」(2021.10.11「『考える』は目的か、手段か」)と受け止めています。確かにキツくシンドイ取り組みではありますが、なんとか活路を見出したいと思います。

 手掛かりは学校参観をしているT君とMさんのリフレクションシートです。子供たちの学校での生活の様子を見て何を感じ、どんなことを考え、校長先生や教員達とどのようなやり取りをしているのか知ることができます。その中にこれからの取り組みのヒントになるものがあるはずです。

 

 まず「改めて『考える』を考える」(2021.10.12)で引用したT君のリフレクションシートを読み直しました。

 「S校長先生との対話の中で『考える先生って何?』と問われた時すぐにこたえられなかった。『じゃあ、考えない先生って何?』と問われた時、何も言えなかった。自分の中にぼんやりとしている『考える先生』が何かわからないまま『考える先生』を目指していることに気付かされた。(略)ふわふわした雲のようなものを今までずっと掴もうとしていたのだ。『考える』ということ自体を自ら考えなくてはならない」

 

 初めてみる生徒たちの様子や自分が中学生の頃との違いに驚いていたT君が「ふわふわした雲のようなもの」を掴むために考えなくてはならないと思うようになったのは大きな変化です。おそらくT君はそのために次に何をしたらいいのか悩んでいるはずです。

 さて、どうしましょうか。「『考える』ということ自体を自ら考えなくてはならない」とシートに書いたT君に、参考になる本を紹介して読むよう勧めることはできますが、そこから先はT君が考えなくてはいけません。あれこれと答えらしきことを教えたくなるのは、教えることを生業とする「先生」にありがちな習性で、ここは我慢のしどころです。T君がわかったような気になっただけでは、自分で考えたことにはなりません。

 焦ったくてキツくても待たなくてはなりません。課題は私たちの側にもあります。

 

 次回は「待っていられなくて教えてしまう」ことの問題について考えることにします。(イデちゃん)